クリエイターは出演者たちに責任を押し付けてはならない
テラスハウス出演者の木村花さんの突然の訃報により、多くの人に悲しみとショックをもたらしました。
匿名による誹謗中傷の罪は重く、おなじ「有名税」による悩みを持った著名人が怒りを表しています。
誹謗中傷に対する法整備やネットリテラシー/モラルの改善が進むことに期待を寄せる一方で、個人的にはクリエイターの責任感の向上も必須だと思っています。
今回の件のように ”クリエイターによる「演出」で出演者の人生を左右するという可能性がある”、ということは全ての制作者が肝に銘じる必要があります。
特に炎上を誘発する制作物に対する意見の矛先は制作者ではなく、作品の顔となる出演者ばかりが矢面に立たされてしまうことは避けなければなりません。
下記はサバンナ高橋さんがテレビ番組で発言したコメントです。
(視聴者は『テラスハウス』を)“恋愛ドキュメンタリー”っていうふうに見てるから、一部だけが使ってもらってオンエアされてるっていうのが伝わらずに、その子の全部の人格のように映るのも怖いです。
前提として、目に映るものすべてをホンモノと捉えて罵詈雑言を浴びせる一部のユーザーは許されるべきではありません。
しかしながら、出演者のドラマ部分をピックアップし、意図的な編集を加えた上で放送をしてしまったのはクリエイター側です。
話題になる部分を取り上げるのはエンタメを成立させるうえでは必須です。
ましてや、リアリティショーやドキュメンタリーにとっては感情やシーンが「リアル」なほどオイシイのも事実です。
ですが、だからといって火に油を注ぐように炎上させ、作品の話題化を促進させた一方で出演者へのフォローとケアをおろそかにしてしまったのは非常にマズイです。
ドキュメンタリーやニュースなどの「リアル」を映す作品は、こういった部分を特に注意しなければなりません。
ニュース番組の例 - 怪しいお米セシウムさん問題
いつも違和感を持つのが、ニュース番組に捏造や不備があった際に番組の顔であるアナウンサーが謝罪をする構図。
もちろん、アナウンサーも制作チームのメンバーなので責任の一端は負うものの、批判の矛先は必然的に彼・彼女に向かってしまいます。
例えば東海テレビが2011年に起こした「怪しいお米セシウムさん問題」。
震災後に起きた非常に不謹慎なこの問題は世間を大いに賑わせ、番組MCの福島智之アナウンサーが謝罪し、番組は打ち切りに。
岩手県や農協などが東海テレビに抗議をし、東海テレビは会社としての対応はもちろん行いました。
しかし、ネット上には東海テレビだけではなく番組MCである福島アナへのバッシングが止まらない事態に。
東海テレビの局員としてただのサラリーマンでもあるにもかかわらず、福島アナはキャスターとしても、局員としても、重い十字架を背負うことに。
会社が行った「演出」の不祥事に対して、彼は1人で重圧と誹謗中傷に耐える必要はあるのでしょうか?
そして会社はちゃんとケアしたのでしょうか?
※『さよならテレビ』というドキュメンタリー映画ではこの福島アナの苦悩とテレビ業界の裏側が綿密に描かれています。
制作チームは最大限のケアを
ドキュメンタリーやニュースに限らず、フィクションやバラエティでもこういった事態は起きます。
『電波少年』時代には出川哲朗さんや松村邦洋さんが演出により「何をされてもいい」というキャラ付けがされました。
結果、路上でチーマーたちに殴られたり、オフの時に自宅が襲われたりしてしまいました。
『水曜日のダウンタウン』では制作側の演出により、安田大サーカスのクロちゃんや板東英二さんが面白おかしく映し出され、わざと炎上させられたりします。
大変面白い人気番組ですが、出演者のケアはなされているのでしょうか?
ケア無しでそういった演出が許された時代はもう終焉を迎えたと、今回の件で感じました。
SNSが台頭し、有名人に直接声が届くようになりました。
有名人も普通の人。
私も含め、クリエイターは彼ら・彼女たちのおかげで面白い作品を作ることができるので、彼ら・彼女たちへの最大限のフォローとケアは忘れないようにしてください。
木村花さんのご冥福をお祈りいたします。
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