右脳派の夜明け
なんだ!それで良かったのか!
「ジルボルトテイラー博士」「奇跡の脳」
先日偶然見つけた動画に膝を打った。
彼女は有名な博士らしくNHKでも放送されていたそうだが、私は初見だった。
右脳派と左脳派については20年程前、深夜バラエティ番組?か何かで知った。
指の組み方と腕の組み方で判定するというエンタメ性のある簡易検査で、占いと大差なくクラスで盛り上がった。
あの時の30人ちょっとのクラスの中で、情報のインアウトどちらも右脳派というのはたったの二人しかいなかった。
何かと問題児のH子と…私。
看護師という職業を選ぶ時、右脳優位の人材はとても厄介。
感性だけでは危険が伴うからだ。
幸い良い同僚や職場に恵まれた。
加えてAB型という、厄介の二重苦である私の言いたい事を汲み取ってくれたり、感性を面白がってくれたりと、大事にしていただいたおかげで退職するまで右脳派が辛いと思ったことはなかった。
そして、私には左脳派が優生という風潮に風穴を開けたい気概もあった。
とはいえ、仕事を辞めるまでは意識してキリキリと左脳を働かせて来た。
意識しないと社会人としてだらし無い人間になってしまうから。
正直、どうでも良いのだ。
数字をきっちり把握したり(それは仕事の上でもそうだし、会計係や幹事などもそう)
1円単位の割り勘や、経営としてコストを下げていくための会議や、それで意見が対立して仲違いが起きることなど…とても不毛に感じていた。
時間もざっくり捉える。
ただ時間に遅れる事はなかった。
私はざっくりの体内時計で予定をこなせるタイプだからだ。
普段の意識の甲斐あったのか、女性だからかマルチタスクが得意で同時に作業できるタイプだった。そしてそんなバリバリ仕事をする自分が好きだった。
ところが仕事を辞めて、直感を活かすスピリチュアルの勉強に入ると、いつの間にかマルチタスクをこなせなくなった。
ある日、セルフレジを通しているときに子供の学校から電話があり、通話しながらスキャンしてレジ袋に入れる作業をしたかったのにどんどんと素通りで袋に入れてしまい、店員さんが慌てて飛んで来た。
電話がびっくりする内容だったとしても、こんな簡単な作業が出来なかったことにショックを受けた。
これは老化か?休みボケか?と心底心配した。
更には今年の春に流行病に罹患してからは、特にこの症状が顕著になった。
後遺症としてモヤモヤなど、脳神経系の症状もあるらしい。
私もその類かと思った。
もし思い当たるとしたら、高熱の最中私はこの博士ほどではないが感覚が周りと溶け合う様な、もしかしたらスーッと登っていく様な、けれど恐怖はなく子供達に何か残そうと思うわけでもなく、思考が弱くなり、いよいよ
「どうでも良いのです」
の境地だったのだ。
そしてこのなんのしがらみもない感覚は、とても気持ちが良かった。
全く信ぴょう性がないが、これは愛だと思った。
この時、この人生ここまでかと思ったわけでもない。
数日で元気になると確信していたし、スタッフとはいつもの様に談笑し、患者としては全く悲観する雰囲気でもなかっただろう。
ただ、私の内側では大きく変わり始めていた。
この現象が後遺症なのか、老化なのか。
必然だったのか偶然だったのか。
それはまだぼんやりとした輪郭だが、宇宙の中の私であり、私の中に宇宙がある事が身近になった。
この先、宇宙の重力が測定されスピリチュアルも科学になる。
ヨガやレイキも数字で説明できる日が来る。
人は左脳で納得できるものに安心するものだ。
その時やっと、右脳派である精神世界の住人の肩の荷が降りるのかもしれない。
博士の動画は右脳派としての苦難の多い人生だった私の左脳に安心を与えてくれた。
私と同じ様な、長年の生きづらさを持つ人へこの動画が届けばと、
noteに残す。