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拝啓、命の母上様
女性の人生において、女性ホルモンとはティースプー1杯しか分泌しない。
と聞いたのは一緒に働いた産婦人科医だったか、助産師だったか、又は通りすがりの友人だったか。
ソースは定かでなく、信憑性もない話なのだが、このフレーズはずっと私の中にあり続けている。
一生分がティースプーン1杯なら、初潮を迎え生理が上がるまで、女の油っこい時期に毎月分泌される量など爪楊枝にチョンくらいの量なのではないか?
残念ながら、私はこの爪楊枝にチョンのホルモンに悩まされる側の方だった。
もちろん悩まされる側がいれば、悩まされない側もいる。
生理痛とも無縁で、生理前症候群などで不調ですなど聞いたことのない人もいるし、縄文時代から多くの女性がそうして来たように、出産の大仕事も自らの生命力でモリモリ復古し、朗らかに子育てしている人もいる。
この進歩した医学の中で、産科は出血の多い科だ。
自然に分娩すればそれなりの出血があり、母体は床上げと言われる期間までを安静にして体の復活を図る。
出産に関わらず、ホルモンに悩む側だろうと、悩まない側だろうと女性は侵襲の多い人生だと思う。
が、
他の人は文句を言ったとしても、まあなんとかやっているのに
ナンデワタシハガンバレナイノ?
爪楊枝にチョン表現はホルモンの猛毒性を端的に示して、私を慰めてくれるのだ。
わりと早くに卵巣を壊し、「妊娠したら行くところ」と思っていた婦人科に20代から通った。
ピルや漢方など処方され、今思えば更年期の様な症状があったが、その自分でコントロールできない症状に明らかに狼狽し、振り回され恐怖も感じた。
だいぶ遅めの出産後、落ち着いていた症状がまた出た時は、昔取った杵柄?ではないが慣れたもんでハイ来たね!と余裕もあった。
しかし、精神的には余裕でも肉体はあれから20年老化していた。
今度は体が言うことを聞かない。
先日、次男と布団の中でポツポツとお話をした。
「お母さん、赤ちゃんが産めなくなる体になって来たからちょっと怒りっぽい時あるけど、あんたのせいじゃないからね。」と。
次男は「大丈夫だよ。僕はずっといい子ってことでしょ?」と。
私の子育てが彼の人格を歪めていないことにホッとした。
しかしすかさず「でも赤ちゃんは産んでほしいけどね!」ときた。
ごめん…ムリだわ(笑)
節目節目に婦人科に通っては色々薬も処方されたが、医者不足で地元に通えなくなったり、子連れで行ける距離内に婦人科特有の…
何というか文字で表現するのも難しいような…
微妙な症状の機微のわかる医者がいなかった。
本人だって上手く説明できないのだから、大抵の医者は不定愁訴で片付ける。
ある時から、大病でもないのだから大変な労力を使ってなんかガッカリする病院よりも、昔から飲まれている命の母はどうなのか?ダメもとでサプリがわりに飲んだらどうだろうか?と、恐る恐る飲み始めた。
命の母は漢方とビタミンを複合して作られている。効いてるようで効いてないようで。
でもやめるとちょっと不調かも…
なんというか、例えるなら結果重視の春日局というよりも、遠くで見守る一休の母上様なのだ。
つかず離れずの距離感で付き合って来た母上様だが、この度は半年くらい親離れをした。
最近冬の寒さも緩み、ふと枯れている自分に気づいた。エンジンがかからない。
「そろそろ飲もうか」
いつものつもりで飲み始めたのだが、今回の母上様はスパルタだった。
急に女子力が上がったのか唸るほどの生理痛に倒れた。吹き出物も出る。何もかもが重い。
ああ、ホルモン出てるんだー。
もう説明するとしたらシンプルにそれなのだ。
ティースプーンに表面張力で張り付いていた最後の雫か?
枯れてもダメ。熟れてもダメ。
いつまで翻弄されるのだろう。
でもね、次男よ。
お母さん、まだ赤ちゃん産めるかもよ!(笑)
私は私で、かつて経験したことのないからだつきになっていた。どうにもからだがきびきびと動かない。たまに少し調子良く乗ってくる時があっても、自分の能力の限界まで行かないうちに、突然妙な不安に襲われて、ーそう、襲われるというのがぴったりあてはまる言葉だった。ー集中しつくしてする状態になれなかった。