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愛が恐い自分に気づいた話
私は特にこれといった趣味がないのだが、唯一オラクルカード を集める事にハマっている。
オラクルカードとは、占いや心理カウンセリングに使用できる、絵やメッセージの書かれた画集にも似たカードだ。
私はカードリーディングも仕事にしているので、カウンセリングと組み合わせてじっくり時間をかけてセッションを組んでいる。
と言うことは、オラクルカードは仕事に必要なのでただ集めている訳ではないのよ…という言い訳が立つ趣味なのだ(笑)
このタロットやオラクルカードは、一番最初は毎日自分のために1枚引いてみるという事が試しやすい。
私も最初はパサパサと1枚引いて、解説書を読んで…
ということを、まさか仕事にするとも思わず20年以上前からしていた。
そして、いざ仕事にしようとした時にもっと奥深くカードと向き合う作業を始めた。
特にカードを使った内観作業(ワーク)は、キレイ!やメッセージが優しい!など、フワフワした気持ちで引いていたカードとケンカ腰で向き合う事になった。
自分の内側を掘り下げていく作業はけっこう辛い。
思いがけず、隠していた本音が出てくることもある。
自分では本当は分かっていて、でもなんとか繕おうとして、言葉遊びのように誤魔化している、幼い頃の自分を見ることもある。
白い紙に書いて流していくうちに、喉まで出掛かっている(書きたがっている)たった一言が書けない。
「これは…書いちゃいけない」
と、理性(思考)が止める。
なぜなら、そこに向き合うと沼にハマるとわかっているから。
けれど、レイキヒーリングを学び、瞑想を日課にして3次元だけが世界ではないことを知った時、ワークを重ねながらどんどん自分に正直になっていった。
それは、私の潜在意識を吐露したところで誰にも咎められない。
これは私だけの愛すべき感情だと、認めてあげられるようになったからだ。
私がずっと抱えていた、
「私は誰からも愛されていない」
というブロック。
小さい時から感じていた一人だけの疎外感。
親は、無意識に私を疎ましく思い、妹と接し方に差がある事に気づいていない。
それはあからさまな差別ではなく、むしろ親は自覚なく、なるべくその嫌悪感を気づかれぬよう、私に気を遣っている事に気づいている自分。
その方がずっと悲しかった。
このブロックに気づいた時、過去の自分を抱きしめて認めてあげる…的なワークもあるが、
私の中で一番効果的だったのは、
「それがどうした!文句があるか!」
と、ど阿呆春團治ではないが啖呵を切ることだった。
魂はみんな光の存在で、たとえ母親のお腹から出てきても(遺伝子の話ではなく)、全く違う個である事を知った事。
そして今まさに、夫と子供2人の家族に対して過去と同じループにハマっていた事。
これは大きい発見だった。
家族がいれば所属するコミュニティも増える。
子供の年齢が上がると対応しなければならない案件も増える。
ブロックに気づいたら早急に、
「よし分かった!辛かったね!原因わかって良かったね!もう大丈夫だよ!はい!次行ってみよ〜!」
と、ドリフのノリで切り替える必要に駆られていた。
夫(グレー)私(繊細)長男(グレー)次男(繊細)
長くなるので機会があれば今度書くとするが、今に至るまで発達支援を受ける葛藤や、カサンドラ症候群(疑)などなど、向き合うたびに私のこのブロックが解決を遠回りさせていた。
と、いう自責の念もまた自分を苦しめた。
だけど、もう恐れることはないのだ。
家族皆、それぞれが抱える問題は私とは別個の問題なのだ。
ただ、3次元の家族という単位で肉体を使って案件をこなすこと。
薔薇と紅茶で癒すのもいいが、私はどっちかと言うと啖呵が性に合ってるようだ。
この先、家族が私を愛してくれなくても、
私の大事な人達が私を愛してくれなくても、
それがどうした!私は愛す!
ブロックの解放は清々しく、愛の純度が増していく。