理不尽に耐えてこそ、人は成長する?!
Hola!!
「人は叱られないと成長できない」「叱ることには効果がある」という考え方について、、、
僕自身、高校時代は毎日のように叱責される中でサッカーをしていました!
その時に考えていたことは「今日はどうやって怒られないように過ごすか(プレーをするのか)」でした!
また監督の機嫌や顔色を伺いながら、大好きなサッカーを楽しむということはなく、ただただ目の前のメニューを(怒られないように)こなすという毎日で、もし練習に監督が出てこないと分かれば完全に気が抜けてOFFモードになっていました。。。
今考えると「一体何のために、誰のためにサッカーをしていたのかな」と・・・
そして、その中で身についた(染みついた)今でもやっかいなことの1つに「嫌なことから逃げる」ことや、何か「ミスをしたらそれを隠そうとする」ことがあります!
また高校時代の3年間は締め付けられていた反動で、卒業後は解放されてサッカーは辞めるし、連絡しても返ってこなかったり、約束を守れない友達がたくさんいました・・😀
その当時、周りの人たちから見れば、監督の話をみんながビシッとした態度で聞いていて、ウォーミングアップも一糸乱れぬブラジル体操から始まり、、、という光景が良いように見えていたという話を聞かせてもらったことがあります!
しかし、、それは「自分たちの意思」というよりは「恐怖心」からくるものであり「怒られるから」という外発的な要因によって動かされていました!
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そういった経験から学び、同じことを繰り返すのではなく、より良い環境を創りたいという想いがあります!
子どもたちとの関わりは日々試行錯誤ですが、、、
昨日、【世界最高の伝え方】という岡本純子さんの本を買って読み始めています!
まだ途中ですが、感じたことや学びを共有させてもらいたいと思います!
“叱る”ことや厳しいことを言うのは、相手に対して「成長してほしい」や「期待がある」ということで、相手のためにやっていることであり、要は人と人との『コミュニケーション』であるということ!
そして『コミュニケーション』いわば、伝えることは“技術”であるということ!
『伝える技術(伝え方)』を学ぶことによって、“叱る”ことや“褒める”ことの効果を知り、違う伝え方を知ることが必要なんだと感じています!
叱られて、怒られて、我慢して、言いたいことが言えないという環境の中で育った経験があるからこそ、その時に感じていたことや、今振り返ってみて感じることがあります!
社会の急速な変化と共に教育や子どもとの関わりも進化しなければいけません!
しかし、今もなお“叱る”人と多く、叱らないと、厳しくしないと成長しないという考え方がベースにあります!
僕自身も子どもたちとどのように関わるべきなのか、、、、分からないことばかりですが、リモートやAIが進化している今の時代だからこそ、より大切になる『コミュニケーション』についてしっかりと学んでいきたいと思います!
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【世界最高の伝え方】という本の冒頭で気になった一部を抜粋していますので、是非読んでみてみてください!
『“叱る”人の誤解』
○自分が“叱る”、相手は“叱られるべき”上下の関係性がある。
○相手は間違いや弱みを「わかっていない」ので、指摘してあげるべきだ。
○私が正しく、相手は間違っており、私のやり方は相手にも通用する。
○人は叱られないと、甘やかされ、成長できない。
○“叱る”ことには効果がある。
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“叱る”と相手が一時的に言うことを聞いたように見せる場面もありますが、それは、相手が心から納得したからではなく、叱られる苦痛や恐怖を回避するための、その場しのぎでしかありません!
しかし、そうした相手の変化を見て、“叱る”側は、「自分の叱責が相手の行動を変えた」「やっぱり強く言わないとわからないんだ」と錯覚し、叱るがエスカレート、、
結果的に“叱る”依存に陥ってしまう!
“叱る”とは、相手の過ちに〈教訓を与える〉という利他的行動である、と正当化するかもしれませんが、実は《自分の気持ちを晴らす》という利他的な行為という事はないでしょうか?
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考えさせられる内容ばかりですし、
《自分の気持ちを晴らす》ために“叱る”ということが当てはまるような事例に最近も出会いました!
次世代により良い環境を残すためにも、自分自身がまだまだ成長するため、人生を楽しむためにも『伝え方(コミュニケーション)』について学んでいきたいと思います♫
皆さんにとっても少しでも考えて頂けるキッカケになっていれば嬉しいです!
最後まで読んで頂きありがとうございます!
それでは、Hasta luego--!!