情報のまやかし
今現在も新型ウイルスが蔓延しつつある。緊急事態宣言が出て2週間が過ぎた。
現在でも通勤している人もあり、買い物も自由である。私自身もエレベータに注意はしているが、犬の散歩で朝晩外に出る。偶然、1年前に引っ越してきた場所は人が少ないのですれ違っても2Mはあるだろうか?
買い物はスーパーのみで、時々様子を見に行く。インスタント麺は品切ればかりである。トイレットペーパーは1次期よりは見るようになったが知らないメーカーだったりである。お米が心配なのだがまだ店頭にはあるようである。しかし東京ではお米は品切れという噂を聞いた。人口が多い場所はやはり需要と供給のバランスが崩れやすいのかもしれない。
ここ最近は、TwitterやYou Tubeをよく閲覧する。
情報というのは真実かどうか?見極めなければならない。しかし何をソースとして語っているのかも疑問になる。私の友人Yさんはとにかく情報に関しては敏感で慎重である。前から色々アドバイスや助言をもらっていたが、今思えば理解していなかったのだと想う。
しかし現在はTwitterの楽しさが少しだけ分かった。
このウイルスが蔓延して世界や日本の人の動きや情報に私自身が興味を持ったのかもしれない。だからまず私がしたことは、私自身が興味ある人や信用できる人のフォローから始まった。
ここでも断捨離?入れ替えである。(シャッフル)
私はこれまで人の意見や情報に耳を貸すことも見ることもなかったのかもしれない。溢れる情報や意見が恐ろしくもなってきたからだ。何かといえば…右寄りの人もいれば左寄りの人もいる。もちろんそれを俯瞰している人も存在している。楽しければいいのだが…過激になってしまうと恐ろしい。言葉とは怖いものである。4月17日に首相は国民に10万を支給と発表した。それだけでも大変なのだが、数日後”もっと金お出せ!”と国につぶやく。”足りない”とつぶやく人が出てきた。それをSNSで目にする。
そう。”ありがとう”ではない。
平等に一律10万の支給と発表した。その判断は私は妥当だと思っている。(とりあえず)なぜなら私は首相官邸にメールもしていた。そうです。誰もが困っています。一律10万円が妥当ではないかと…(笑)大勢の意見の中の一人ではあるが平等に考えてほしくて早朝意見メールを送信した。(笑)私の中では平等であるべきがある。しかし世の中の人の大半は平等は存在しない。
人の意見とは怖いもので、意見を堂々と述べるとそれが正しいように感じる。そしてそれが自分にも得だと思えば賛成する。いいえ、自分さえ得するのであればの意見に賛同する。平等にと考える人が少ないのが現実だ。いいえ自分の姿しか見えないのかもしれない。それが今の現状なのかもしれない。そして恐ろしいのが、その意見は本当にあなたの意見なのか?と言う情報もリツイートされ蔓延している。コピーペーストされ、さも自分の意見のような言葉として蔓延しているのがSNSである。
その他には、家賃や公共料金など”その10万で支払いはしないでいい!”との拡散を見た。その時、お金は怖いものだと思った。それが正しいように感じる文章だったからだ。しかしその文章は明らかに危険である。なぜならそれはあなた自身の信用をなくしてしまうものだからである。詳しくは語らないが、支払期日に払わないとチェックが入る。まだ自粛要請が出て1ヶ月も過ぎていない。もちろん国にも責任はあるが1ヶ月も保てない暮らしが本当に正しい暮らしだったのだろうか?根本から考えさせられる現実である。
話は戻すが、混乱した状況が起きると様々な右寄り左寄りがある。
考えや意見がない人も多いのだが、その右や左に惑わされる。そして私はどちらかといえば…何故かしっくりこない。右でも左でもない場所とはどこだろうか?意見がないわけでもない。右の意見も左の意見も間違ってはない。でも行き過ぎると危険なこともある。どちらも正しいのだけど、その気持はわかるのだけれども…と宙ぶらりんの人も中には存在しているのではないだろうか?それが私である。
賛同を得る事を目的としてのSNS活動家をよく見かける。そして集うことが正しいのだろうか?時には集うことで根本がズレてしまう光景も見てきました。そう語れるのは年配者であり経験者の戯言でしか無いのだが、現在は活字での表現力の醜さもよく目につく。それは今現在の問題として表されている。
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