西美濃方言講座#7~方言競
観光地のお土産売り場でよく見かけるのが、方言グッズ。中でも、方言番付は昔からの定番です。地元の皆さんの方言に対する愛着や誇りが感じられますし、訪問先のお土産として記念になるだけでなく、方言を知る資料にもなります。
私の地元の大垣には、残念ながら方言グッズはありません。ただ、意外と知られていませんが、過去に方言番付が作成されています。大垣の郷土研究会「美濃民俗文化の会」が昭和48年(1973)に「方言競」として作成、平成8年(1996)に、会報『美濃民俗』353号に加筆補填して再掲されています。このまま埋もれて忘却されていくにはあまりにも惜しいので、ここで紹介しておきます。
「美濃民俗文化の会」について簡単に紹介しておきます。
明治18年(1893)、東京在住の書生により大垣出身者の親睦団体「大垣青年会」が結成されました。同35年(1902)に幹事会の8名が中心となって「郷里方言集」を作成、同会の会報『大垣青年会誌』に掲載されました。800語の語彙集は明治期の大垣方言を知る貴重な資料です。昭和5年の『大垣市史』の「大垣方言」も、「郷里方言集」をほぼそのまま収録しています。
同45年(1912)に大垣城の別名、麋城(びじょう)にちなみ「麋城会」に改名されています。世代交代に伴い活動の中心が大垣に移動、昭和35年(1960)から9年間、会報『大垣ものがたり』が発行されました。大垣藩の歴史や明治期の大垣方言の記述もみられます。昭和期末には、会員の高齢化により自然消滅しています。
同会の会員が中心となって、昭和41年(1966)に「美濃民俗文化の会」が設立されました。会報『美濃民俗』は平成13年(2001)に会員の高齢化により自然消滅するまでの35年間、415号まで発行されています。大垣方言の記述もみられます。ちなみに会の消滅時、私は最年少の会員でした。
平成14年(2002)、この会で知り合った植川千代さんと私との共著で『美濃大垣方言辞典』を作成しました。明治44年生れの植川さんの大垣方言を記録した語彙集です。
地域の諸先輩方が郷里の方言を記録しておきたいとの思いで残してくださった大垣方言の記録の数々。今後も次の世代へと郷里の方言が継承されていくことを願っています。