『NOPE』感想(うろ覚え)
「最悪の奇跡」というキャッチコピーに大した意味はなかったように思う。撮ることと撮られることの関係性、いるのにいないとされた者たちの逆襲、そういったものが主題であると感じた。
動物を撮ること。この映画には撮影される3種の生き物がいる。作中でたびたびその場面が挟み込まれる、アメリカのホームドラマのレギュラーであり、ある時出演者を殺傷する事件を起こしたチンパンジー。映画製作者たちの無思慮な視線に晒されて撮影中に暴れ出ししまう馬。そして、主人公たちの住む地域の上空を飛翔する物体。作品の後半に主人公たちと合流する老カメラマンが自宅で鑑賞しているのが動物を撮影した映像というのも示唆的だ。
諸説ある映画の起源について、この作品では人を乗せた馬が走るゾーイトロープ(回転式の覗き絵)がそれであるとする。馬の乗り手は黒人であるが映画業界はそれを隠して歴史から抹消したと主人公の妹は主張する。ハリウッド映画の華やかな歴史の影で、いるのにいなかったことにされたもの、撮ると撮られるの非対称な関係にあったものたち。食い物にする側とされる側とも言える関係をこの作品はひっくり返す。食い物にする側が傷つけられ、殺され、(文字通り)食べられる。
現代ハリウッドの撮影スタジオ(CGによる合成を行う現場)、全自動の防犯カメラ、手動のIMAXカメラ、手回し写真機。物語が核心に迫るにつれて用いられる機材は古めかしくなり、撮ることの歴史を遡っていく。いわば一種の時間旅行である。そして、登場人物は馬に乗って走る。またはバイクに乗って走る。走ることが時間の中の旅を連想させる。
個人的にジョーダン・ピール監督の作品はアイデアが面白いと思いつついまいちハマれないところがあった。それは主に黒人と白人の問題に対する知識の無さ、当事者としての実感のなさが理由だと思う。今作も見る前は同様の印象を持っていたのだが、予想以上に好感を持てたのは映画史そのものを扱ったメタ映画的な構造と、もうひとつ大きいのはB級的なバカバカしい熱量だ。真昼間の牧場に大量のバルーンの人形が翻り、その中で巨大な未確認生物と追いかけっこをする。血の雨と木馬が空から降ってくる。どうかしている絵面が真剣なテンションで映し出されている。クリーチャーと戦うB級展開に『トレマーズ』を彷彿とさせられるが、「撮る」ことへの執着や俗っぽい動機から無茶をする主人公たちに『コワすぎ!』シリーズも連想した。
一方で気になる点もある。ジョーダン・ピール監督が黒人をメインキャストに映画を撮り、黒人差別をテーマに取り込むのならばその反対側にいるのは白人であり、つまりは黒と白の問題になる。では今作でアジア系の俳優であるスティーヴン・ユァンを起用し、殺傷事件を起こしたチンパンジーと深い関わりのある役を与えた理由は?と考えてしまう。黒人も、黄色人種も、動物も、同じく映画史(ハリウッド映画史)の日陰に追いやられた存在なのだということなのか。しかしどうしても「イエローモンキー」という言葉が頭をよぎってしまい、監督になぜ?と尋ねたくなる。
映画の目指すところが黒と白の顕在化であり反転であるとするならば、黒と白は闇と光に置き換えることができる。映画は単純化すれば光と闇の組み合わせである。夜の暗闇の中で展開する恐怖映画であった前半から、真昼の太陽の下で怪獣映画が繰り広げられる後半への転調。闇に隠れたものを曝け出す暴力は、私たちはここにいるという力強い声にもなる。昼の光の中を疾走するバイク=馬はゾーイトロープの似姿になり、映画の起源に向けて遡る旅は怪物の姿を写真に焼き付けて完結する。これは映画史に突き付けた否定形、映画の誕生へと遡行する、白と黒、光と闇の反転の旅である。
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