gu

感想文など

gu

感想文など

最近の記事

映画『きみの色』 ブロック塀の色彩について フレーム越しの会話について

色彩について何も起きていないようでいろいろなことが起きている。ということが書いてあったのは保坂和志の小説論だったか。 この映画でもいろいろなことが起きている。ささやかにも思えるストーリーに対して、ほんとうにたくさんのことがスクリーンの表面に現れている。べつにそれは深読みが必要だということではなく、要はとても色彩が豊かだということなのだが。 というか、自分にはこの映画を見てそれしかわからなかった。とてもカラフルだ。それだけだ。 この映画ではあまり鮮やかすぎる色塗りはされて

    • 黒沢清『Chime』

      今年は黒沢清の映画が豊作だ。リメイク版の『蛇の道』、未見だが『Cloud』、そして現在公開中の『Chime』である。 『Chime』は黒沢清の劇場公開作品としては異例の45分という短い映画である。その短さゆえに説明的な描写は排されており、不気味なシーンと奇妙なシーンがひたすら連続する抽象度の高いスリラーとなっている。 ショットひとつひとつが感じさせる不気味さや奇妙さは黒沢清の映画ではお馴染みのものである。ベスト盤を聴くような楽しさがあるが、セルフリメイクの印象も否めない。

      • 感想『すべての夜を思い出す』

        知りえないこと、あり得たかもしれないこと、消えて行ってしまった無数の物事を含んで今ここがある。現実には実感しにくいが、映画や写真や小説といった表現を介して私たちはそれを経験することができる。 映画『わたしたちの家』で一軒の家に重なって存在する並行世界を描いた清原惟監督は、新作『すべての夜を思い出す』において、よりさりげない形で複数の時空間の重なりを表現している。 この映画には年代の異なる三人の女性が主人公として登場する。彼らが多摩ニュータウンの団地周辺で過ごす一日を追って

        • 『宇宙探索編集部』 フェイクドキュメンタリーと詩の言葉について

          コン・ダーシャン『宇宙探索編集部』を一言で表すのは難しい。宇宙人を扱ったSFと言うことはできるだろう。とぼけたユーモアのコメディ映画でもある。映像はフェイクドキュメンタリー風であり、そして旅の映画である。 フェイクドキュメンタリーの手法を採用しているが、その効果については曖昧なところが多い。登場人物たちがインタビューに答えるシーンがいくつかある。皆既日食のシーンでは旅先で出会ったスン・イートンという青年が周りの者たちに目を瞑るように言い、そしてカメラに向かって「お前も目を閉

        映画『きみの色』 ブロック塀の色彩について フレーム越しの会話について

          ジェイムズ・べニング『アレンズワース』を見た感想

          恥ずかしながら作品を全く知らなかったのですが、「アメリカ/時間/風景」という特集のタイトルが気になったので見てみました。 アレンズワースとはカリフォルニア州で初めてアフリカ系アメリカ人による統治が行われた自治体で、第一次大戦後に住民の多くがこの地を離れて荒廃しましたが、現在は残された建造物の修復と復元が行われているそうです。 映画『アレンズワース』は同地で1月から12月に撮影されたそれぞれ5分間の12個の映像によって構成されています。それらの映像に人物は全くと言っていいほ

          ジェイムズ・べニング『アレンズワース』を見た感想

          『破壊の自然史』 セルゲイ・ロズニツァ

          映像はドイツの街並みから始まる。道路を行き交い、カフェに集い、音楽を楽しむ大勢の人たち。そこから不穏な転調が起きる。カメラは意味深に彫像を仰ぐ。鋼鉄製の門がゆっくりと開く。地獄の門であるかのように。骸骨が映る。場面は戦闘機工場に移る。一定のリズムを刻み続ける機械から吐き出される爆撃機の部品。軍需工場で働く女性たち。訪問した軍人がジョークを交えた演説で工員たちを鼓舞する。そして始まる爆撃。操縦席から見下す都市。止むことなく投下される爆弾。花火のように燃え盛る都市が、容赦なく映し

          『破壊の自然史』 セルゲイ・ロズニツァ

          北野勇作『クラゲの海に浮かぶ舟』 空っぽの容れ物と逃げ出した物語について

          北野勇作の『クラゲの海に浮かぶ舟』を読んだ。 「ダイヤモンド・リング」と呼ばれる巨大な建造物が崩壊した。勤めていた会社を辞め、古いアパートに一人暮らす「ぼく」のもとに「田宮麻美」と名乗る女が現れる。彼女は「ぼく」の元恋人であるらしい。会社を辞める時に記憶の一部を抜き取られた「ぼく」は元恋人のことを思い出せない。彼女がやってきた目的は「ぼく」の脳に記憶されたデータを回収することであり、それは、記憶を失う前の「ぼく」が彼女に頼んだことだという。 彼女に連れられて行った河原で「陸

          北野勇作『クラゲの海に浮かぶ舟』 空っぽの容れ物と逃げ出した物語について

          岡本綺堂『影を踏まれた女』

          Amazon.co.jp: 影を踏まれた女 新装版 怪談コレクション (光文社文庫) : 岡本 綺堂: 本 岡本綺堂は『半七捕物帳』で知られる作家だが、本書のような怪談も数多く残している。 ホラーというジャンルにおいて「生きている人間が一番怖い」という紋切型がある。それとは反対に「本当に怖いのは幽霊だけだ」という向きもある。正解はおそらくどちらにもないのだと思う。 岡本綺堂の書く怪談は、一見すると因果の筋が通ったものに見える。旅人を殺して金品を奪った家に変事が起きる。人

          岡本綺堂『影を踏まれた女』

          落下と反復について 『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』

          作中作『スタァライト』 TVアニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』および映画『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』は「戯曲『スタァライト』」という作中作が重要なモチーフになっている。それは塔に上り、塔から落ちる物語である。 時代も場所も定かではない架空の国。年に一度の夏の星祭りの夜、フローラとクレールという二人の少女が、願いを叶える星を掴むため「星摘みの塔」と呼ばれる塔に上る。塔に幽閉された女神たちの妨害を乗り越えて塔の頂にたどり着いた二人だが、星を掴もうとする

          落下と反復について 『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』

          『NOPE』感想(うろ覚え)

          「最悪の奇跡」というキャッチコピーに大した意味はなかったように思う。撮ることと撮られることの関係性、いるのにいないとされた者たちの逆襲、そういったものが主題であると感じた。 動物を撮ること。この映画には撮影される3種の生き物がいる。作中でたびたびその場面が挟み込まれる、アメリカのホームドラマのレギュラーであり、ある時出演者を殺傷する事件を起こしたチンパンジー。映画製作者たちの無思慮な視線に晒されて撮影中に暴れ出ししまう馬。そして、主人公たちの住む地域の上空を飛翔する物体。作

          『NOPE』感想(うろ覚え)

          『パッサカリア』ロベール・パンジェ/堀千晶訳 水声社

          厩肥の上で男が死んでいる。いや、その男は机に突っ伏して死んでいた。いや、厩肥の上で死んでいたのは四肢を空に向け腹を切り裂かれていた牝牛である。いや、厩肥の上には案山子が倒れ掛かっていた、血のように見えるのは布切れの赤である。 実際に作者と親交があったという事実はさておくとしても、ロベール・パンジェの『パッサカリア』はロブ=グリエを彷彿とさせる小説の騙し絵だ。 ロブ=グリエの作品においては例えば人物として描写されたものがマネキン人形にすり替わり、現実の殺人の場面が本の挿絵だと

          『パッサカリア』ロベール・パンジェ/堀千晶訳 水声社

          『シン・ウルトラマン』の感想ではありません

           『シン・ウルトラマン』について真っ先に思い浮かぶのは数年前に公開された1枚の写真だ。湖畔に立つウルトラマン。Twitterで榛名湖じゃないかと言われていて、確かによく見ると白鳥丸が映っているし周りの建物にも見覚えがあった。ついに地元も怪獣映画の舞台になるのかと公開が待ち遠しかった。結論から言うと映画本編に榛名湖らしき場所は登場しなかった。たぶん見落としはないはずだ。『ウルトラマン』を下敷きにしているのであれば最初の変身の舞台になるのか!?と期待していたのだけれども。  思

          『シン・ウルトラマン』の感想ではありません

          『春原さんのうた』について

          窓が開いている、というのがこの映画の第一印象だった。杉⽥協⼠監督の作品を見るのはこれが初めてだった。とりわけ大きな事件が起きることもなく、穏やかだとか静かだとか形容できる作品であると思うのだが、不思議と記憶に残るシーンは多い。 特徴的な構図が二つある。部屋の奥から玄関を正面に見据えているか、部屋の入り口側から窓を正面に見据えているかである。いずれにしても玄関の扉が開いているし、窓も開いていて、その向こう側の景色が見えている。 映画は川沿いの道を歩く親子連れを見下ろすショッ

          『春原さんのうた』について

          『MEMORIA メモリア』について

          世界は一個の巨大な博物館である。あるいは記録装置である。アピチャッポン・ウィーラセタクンの監督作『メモリア』を見ていると、主人公のジェシカ・ホランドと共に博物館の見学者となって、奇妙な世界(あるいは元々奇妙であることが明かされた世界)を彷徨っているような感覚を覚える。 この作品はアピチャッポンの映画によく見られるように二部構成を取っている。前半はコロンビアの都市メデジンが舞台である。ある明け方、大きな音(作中では大きな鉄球が落ちた音と形容されていたが、大砲の発射音のようにも

          『MEMORIA メモリア』について

          『チュルリ』東京国際映画祭で それと『ジャッリカットゥ』のこと

          東京国際映画祭、実は今まで行ったことが無かった。今回見たのは『チュルリ』。あの『ジャッリカットゥ 牛の怒り』の監督リジョー・ジョーズ・ペッリシェーリの作品だ。 インド映画に詳しくない身としては歌も踊りもない、更には華やかな大スターも登場しない、そんなインド映画があることが驚きだった(もちろんそういう作品だっていくらでもあることは承知しているが)。 『ジャッリカットゥ』のジャンルをなんといえば良いのだろう。土着的で野蛮なのにスタイリッシュ。話はいたってシンプルだ。ケーララ州のと

          『チュルリ』東京国際映画祭で それと『ジャッリカットゥ』のこと

          アイの歌声を聴かせて 感想

          思っていた以上に好きな映画だった。 正直言うとそんなに期待はしていなかった。 というのは映画館で予告編をしつこいくらい見せられていたからで、予想される内容もよくある高校生の青春と冒険という感じ。AIものらしいがこれまたよくある「○○(AIやアンドロイドの名前)は道具じゃない!」みたいな台詞が挟まれて、なんだかなあと思っていた。 では何が良かったかというと主人公のサトミとAIのシオンの関係性、それにまつわる演出だ。 人知を超えた存在から向けられる混じりっけなしのどデカい感情の矢

          アイの歌声を聴かせて 感想