黒沢清『Chime』

今年は黒沢清の映画が豊作だ。リメイク版の『蛇の道』、未見だが『Cloud』、そして現在公開中の『Chime』である。

『Chime』は黒沢清の劇場公開作品としては異例の45分という短い映画である。その短さゆえに説明的な描写は排されており、不気味なシーンと奇妙なシーンがひたすら連続する抽象度の高いスリラーとなっている。

ショットひとつひとつが感じさせる不気味さや奇妙さは黒沢清の映画ではお馴染みのものである。ベスト盤を聴くような楽しさがあるが、セルフリメイクの印象も否めない。全体のモチーフは『CURE』に近いし、死体を埋めた現場から逃げ去る主人公を映すロングショットは『蛇の道』などを連想させる。金をせびる主人公の息子などは『叫』の引用だ。

この映画において主人公の精神の破綻と世界の崩壊は表裏一体である。主観と客観が明確に切り分けられていない印象を受ける。主人公が傍から見ておかしいのはたとえば有名レストランのメインシェフの面接を受ける場面に表れているが、その直後に彼とは関係ない別の客がこれまた無関係の女性客に襲い掛かっている。主人公が殺した女生徒の幽霊?が出現するシーンも奇妙である。料理教室へ出勤した主人公に女性スタッフが、その生徒(表向きは行方不明になっている)が教室に来ていると伝える。教室へ向かうとその女性スタッフが「ほら、あそこに見えるでしょ」と部屋の奥を指さす。そこには誰も座っていない椅子があるだけである。そもそも、その場にいるはずの人間を指して「あそこに見える」という言い方をするのは何なのか。

主人公の日常、そしてこの映画を見る観客の時間は、耳障りな音の反復によって苛まれる。玉ねぎをやり過ぎなくらいみじん切りにする包丁の音。調理器具を投げ捨てる音。丸鶏を流しに叩きつける音。大量の空き缶を回収ボックスに流し込む音。生徒や息子の癇に障る言動。場合によっては受け流せなくもないそれらの音が奇妙な不快さを伴って見る者の脳裏に刻まれている。タイトルになっている頭の中で響くチャイムの音はむしろ安らぎを感じさせる。

耳障りな音とは乱暴な動作で生じるものである。主人公が語るように「丁寧な動作に集中して心を鎮める」場所であるはずの料理教室で食材や器具が叩きつけられ、包丁を用いた凶行が行われる。凶器がそこら中に置いてあり平静さが求められる空間は主人公の危うい精神を反映する。洗い終えた皿を一枚一枚拭き直したり路上に捨てられたペットボトルを拾ったりしていた主人公が、死体を埋めるのに使ったスコップを無造作に放り投げる。

金属というモチーフも反復される。包丁、空き缶、スコップが地面にぶつかる音。作中で起きる暴力や殺人はいずれも金属製の刃物や食器が用いられている。料理教室を訪れた幽霊?の姿は見えず、女性スタッフの悲鳴と恐怖にゆがむ主人公の顔と、正体不明の金属的なノイズだけがその存在を示している。


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