4月18日(甲子園)18時開始予定の阪神3回戦のみどころ

予告先発は広島が九里、阪神が西勇輝

新井監督の実家は広島市内にある。広島市街地はデルタ、三角州にあり6本の川が流れる。

新井監督は小学生の時、デルタの真ん中を流れる天満川沿いにある天満小に通っていたが、引っ越しすることになった。転居先は当時の新興住宅地。その後、1994年に開催された広島アジア大会によって近隣は目覚ましい発展を遂げた。エディオンスタジアム広島も近い。

カープ入団後の新井監督は、今度はデルタの一番東寄りの京橋川そばのマンションに居を構えた。そして運命の時がやってきた。テレビカメラの前で泣きながらカープに別れを告げたのである。

カープファンが一斉に反応して「裏切者」の声が上がった。

しかし、新井監督はあの日、京橋川そばのマンションを出る時でさえまだ広島を“捨てる”かどうか迷っていた。

この話がなぜ、大事か。

それは真実がぜんぜん報じられていないから。

新井監督は出たくて広島を出ていったのではない。

当時のチームが内包する大きな問題の改善を球団に訴えた。その結果、「じゃあ、お前が出ていけ」とそう言い放ったのはほかでもない、広島東洋カープ松田元オーナーだった。ゆえに表に出ている数々の美談の中には見聞きするに堪えないものもある。

けっきょく新井監督は家族でその拠点を関西地方に移し、子どもたちは地元の学校に通い始めた。

もう運命には逆らえないはずだった。ところが黒田博樹氏の“剛腕”が、新井監督も巻き込みながら広島とカープの歴史を大きく変えたのである。

そしてきょうから“また”甲子園で子弟対決…

誰がこうなることを予想しただろうか?

新井監督が国内FA宣言ののち岡田監督率いる阪神に移籍したのは2007年。翌08年は新井監督の活躍もあり阪神が序盤から首位を独走した。ところが主砲は夏の北京五輪で腰を疲労骨折して離脱。失速したチームは巨人に最大13ゲーム差をひっくり返され、岡田監督は電撃辞任に追い込まれた。
 
互いにいろいろな過去を思いながら、マツダスタジアムでの第1ラウンドは1勝1敗。新井監督にとって高津ヤクルトの存在は大きいが岡田阪神もまたしかり、ということになる。
 
そんな両指揮官の思いをどこまで理解しているか、は別にしても予告先発の九里、西勇輝による今季2度目の投げ合いは熱を帯びたものになりそうだ。
 
前回4日のマツダスタジアムでは西勇輝が6回0/3、99球4安打5三振3四球の3失点(自責2)。坂倉に1号2ランを許して降板となった。
 
九里は4回1/3、87球4安打2三振6四球4失点(自責2)。
 
この対戦でその重箱の隅突き投法を反省した九里は、先週火曜のバンテリンドームナゴヤで8回97球4安打7三振1失点の無失点。
 
NHK広島放送局の夕方ワイドニュースにはカープOB大野豊さんがカープナインの直近一週間の活躍の中から選ぶ「週間MOP」のコーナーがある。
 
前日、月曜日のオンエアの中で表彰?されたのが九里だった。選考理由はテンポよくゾーンで勝負していたから。九里は1戦目と2戦目では三振と四球の数が逆になった。後者のような投球が求められる。
 
西勇輝は先週火曜日の東京ドームで初回に適時打されて1失点、七回に一死満塁のピンチを招いて降板、結果的には3失点(自責2)で負け投手。今季初勝利を目指すマウンドになる。
 
※この記事内で選手などの呼称は独自のものとなっています。
 


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