ユダヤ問題の本質
人は何時だって、本質から目を逸(そ)らし、枝葉末節でお茶を濁そうとする。ユダヤ問題の本質は、シオニズムでも、選民思想でも無くて、人類創世のアダムとイブから燻(くすぶ)り続ける「無神論」なのである。アダムの息子カインは神を敬えず、弟アベルを殺してしまう。楽園追放、大洪水、バベルの塔、何処を切り取っても、其処に「無神論」が横たわっている。近世のルネッサンスや近代科学の唯物論、共産主義思想、それは人類史に巣食う「無神論」の顕在化に過ぎない。ユダヤ人は、神かカネかの二者択一で、常にカネを選択しては、その都度神に罰せられ、呪われてきた。共産主義もディープステートも、ユダヤ人が神を信じ得ないという一点に集約可能で、神を捨てた故に、おカネを拝むしか無いのである。ユダヤ人が根底において「無神論」だとしたら、神の子イエスは抹殺するしかない。10億人居るクリスチャンも実は神など信じていない。信じている振りをしているだけである。人類の無神論を神は見破り、人類滅亡の舞台を準備している。アダムの当初から人類は神を信じてはいない。人類の存亡は、ユダヤ人が神よりカネを採る限り危うい。大富豪で良かったねでは無いのである。