内面と外面
「鬼は外、福は内」と言ったりします。
では何故「内と外に別ける」のでしょうか?
体外と体内に分ける。内面と外界とに別ける。
そうする事で、内面は外界と別物になってしまいました。
つまり本音と建て前が別物でも良くなった。即ち「嘘をついてもオーケーになった。」
そして現実世界と自分の内面は、それぞれが別個の動きを始め、自分は何時も「外界に合わせる自分」に成り下がった。
その典型的セリフが「現実を直視せよ。」です。
「現実を直視しろ」とは、現実に自分を服従させろと言う意味です。
逆に言うと、現実を自分に従わせない。
だから現実世界が「自分の言う事を聞かない」つまり「思い通りになら無い人生」になっている。
しょうが無いから、現実世界に服従し現実世界の言いなりになって、現実が変えられませんと泣き言を言う。
現実世界即ち「外界」は、そもそも「自分の内面の投影」だったのに、それをすっかり忘れたのが「人類と言う意識たち」なのです。
だから「本当の自分を取り戻す」とは、外界即ち現実世界は、そもそも「内なる自分の投影に過ぎない」と気づくことから始まります。
「引き寄せが上手く行きません」では無くて、そもそも現実世界は既に自分が引き寄せた現状の自分なのです。
だから「本当の自分を取り戻す」とは、内面イコール外面、内面イコール現実世界に持って行く事なのです。
しかも自分を現実に合わせるのでは無くて、現実を自分に従わせるのです。
これが「内即外」、内面即現実世界で、其処に持って行く過程で、一旦「現実世界を無視する」とか「現実世界はイリュージョンです」といった行程が要るのです。
そうしないと、現実世界のマトリックスの中で生息し、現実を変えられない症候群になるのです。
「思考が現実化する」とは、思考が現実より先ですよと言っている。
でも大多数の人間は、その逆をやっています。即ち「現実を思考化させている。」
だから人生が思い通りにならない。外界に振り回される人生です。
正しい順序に戻すプロセスを、「本当の自分を取り戻す」と言ってる訳です。
何時も「内面を先にする」、つまり内面が現実世界を生み出すように意識して生きる。
外界とか現実世界は、自分の内面の反映つまり「内面の結果の産物」なのです。
これが確信され、現実に反映されるまで、現実や外界や外見や外面は無視してかかる。