豊かさを呼吸する、 「パワーの出し方について」
第一章 「呼吸について」
呼吸と言うのは、酸素を吸って、二酸化炭素を吐き出す行為です。でも実はそれと同時に、宇宙エネルギーを吸い込んでは、吐き出しているのです。つまり、宇宙の豊かさを、吸い込んでは吐き出しているのです。そこで先ずは「胸で吸って胸で吐くイメージ」で呼吸してみましょう。肺は胸部に位置しています。だから鼻から吸い込んだ空気を肺に一旦溜め込みます。一旦溜め込むとは、肺を空気で満タンにします。呼吸が浅いと満タンになっていません。浅く吸って浅く吐いているのです。だから深呼吸をして生気を取り戻しましょう。その際、意識的に意識して呼吸する訳です。通常、人は無意識的に上の空で浅い呼吸をしています。それをふと思い付いてふと我に返り、意識的に深呼吸するのです。そして暫らく自分が「呼吸そのもの」に成り切ってみます。逆に言うと、通常運転の自分はその間「酸素不足の自分」だった訳です。
次に立った状態で、「肺で吸って真下に足元に吐くイメージ」で呼吸してみましょう。つまり呼気を外に吐き出すのでは無く、自分の身体全体に還流させて行くイメージで呼吸する訳です。何故こんな事をするのか?人は普段全身に酸素を行き渡らせて無くて、身体の一部が常に酸素不足だからです。
第二章 「エネルギーの吐き出し方について」
人間は宇宙エネルギーを吸い込んでは吐き出すを繰り返しています。この時、蛇口が閉まりかけていると上手く吸い込めません。吐き出す力も弱いです。それは自分をちっぽけな存在と信じ込んでいるからです。この状態を無力感状態、無能感状態と言います。でも宇宙には無限のエネルギーとパワーが有るのです。どうしてそのパワーを使わないのでしょうか?実は自ら封印してしまったからです。
国家予算の大半を軍事費に使う国が有ります。自分のエネルギーを戦争にしか振り向けない人たちがいます。
第三章 「闘わない生き方」
現代医学は、ガン細胞を敵と見做しあらゆる武器例えば抗ガン剤や放射線を駆使してガン細胞と「闘って」います。其処には「ガン細胞への慈しみや思いやりや癒やし」が有りません。また多くの人間は、五感の快楽にエネルギーを注ぎ、味覚依存症や食欲依存症若しくはセックス依存症に陥り、五感以上の感覚を伸ばそうとはしません。つまり、人間って肉体依存症患者なのです。
サイヤ人のカカロットは山を一撃で吹き飛ばせます。詰まり、自分のパワーを「破壊」に使える訳です。だから「堕落とはパワーの誤用である」と定義出来ます。
それを「感情面から言えば」、怒りや憎しみ、恨みや嫉妬だったりする訳です。怒りは愛の欠如だから、人を簡単に殺してしまいます。敵兵を殺して祝杯を上げ歓んでしまいます。出力の仕方を間違えたのです。
宇宙エネルギーをパワーに変えると何でも可能になります。その際、芸術は爆発だと言う人がいました。でも水素を爆発させたら星も吹き飛んでしまいます。爆発させないで出力の調整をしてあげれば、フリーエネルギーとして有効に利用出来る訳です。自分には無限のパワーが有ります。それを怒りや憎しみに使うのでは無くて、愛や調和や思いやりに使えばいいのです。封印していた無限のパワーを破壊と滅亡の為に使うのでは無く、愛の国の建設に使って行きませんか?人類史を見渡すと、国家は滅亡したがり、文明は滅びたがります。一つの文明が滅びる時、大陸は海に沈みます。アトランティスはその一例です。
人間はこれまで「自分とは欠乏と不足である」と信じて来ました。つまり、「制限」を体験して見たくてワクワクして地球に産まれて来ました。でも「制限とは不自由である」、つまり「元来自由な魂」を「肉体と言う牢獄」に閉じ込めてしまった訳です。
さて自分を一旦地球と言うマトリックスに閉じ込めた上で、尚且つ肉体から幽体離脱出来ない無力な自分にした上で、さてこの難攻不落の監獄からどうすれば脱出出来るのか。今度はそれが人類の一大テーマに成って来ます。
第四章 「不可能から可能へ」
大抵の人間は幽体離脱なんて無理、出来ない言い訳ばかり探します。空中浮遊なんて不可能だ、そんな事出来なくても人生困りません。本当は「空も飛べるはず」なのに?まあ急がなくていいのです。
宇宙人って時間の感覚が無いので、今日か明日にもアセンションが起きそうに語ります。でもそれがどんな風に起こるのか誰も知りません。いや人類史上初だからワクワクする訳です。「また例のお馴染みの奴かよ、もう飽きちゃったよ」では全然ワクワクしません。
宇宙は愛で出来ていて、宇宙エネルギーに満ち満ちています。だから宇宙も人間も豊かさも同じ一つのエネルギーなのです。そしてその豊かさの一つがお金です。「カネは天下の回り物」です。世の中を豊かさが循環し、身体を生命エネルギーが循環して行く事で健康が保たれます。生命エネルギーの事をプラーナとか「気」と言ったりします。呼吸する際、単に酸素を吸い込むのでは無く、「生気」を、生命エネルギーを吸い込んでいるのだと意識しながら吸い込んでみましょう。
第五章 「自分の人生のテーマ」
ところで人間は自分に与えられた人生で一体何がしたかったのでしょうか?
高齢者は、御隠居さんとか年金生活者、老人ホームで死を待つ人たちとみなされています。人はそれぞれ十人十色だから、人によって、キャンプしたいとか釣りがしたい、居酒屋で昼呑みがしたい、散歩したり昼寝したりしたい、食べ歩きしたいと色々です。私の場合、俗世間にどっぷり浸かって生きたい訳でも無い。と言う事は、自分は世捨て人なのだろうか、仙人に憧れたりしたのは確かだが、隠者のままでいたい気もする。俗世間の生活がどこか嘘っぽく感じられるものの出家してしまいたい訳でも無い。と言って飲み歩きたいとも思わないし···。物質主義者でも唯物論者でも無神論者でも無いから、多分スピ系なのだろう。
例えば宇宙物理学者が宇宙を探究するうちに、いつしか知らず知らずのうちに、自分で気づかないうちに神を探究していたりします。UFOを研究するうちに宇宙の神秘に魅せられて行ったりもします。
私の場合はどうかと言うと、「人生の快適化」がテーマなのかもしれません。或いは「至福の探究」とか「不老不死の探究」、要するに「探究ごっこ」がしたい訳です。だから楽園を追放された人類の楽園への復帰、それは言い換えれば、地上天国の実現、それは人間の現状としてはおよそ実現不可能に近い、絵に描いた餅かもしれないが、其処に少しでも近づくことが我が人生の隠れテーマなのだろう。
働きたいかと言うとそうでも無い。働くよりは遊びたい、旅行がしたい訳でも無いし、百名山を登りたい訳でも無い。アクティブな高齢者も居るけど、私はむしろ何もしないでぼけっとしていたい、近頃カラオケにも行って無い、やはりどう考えても散歩しかする事が無い、「散歩は神との対話である、禅であり、宇宙との会話である。」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?