女系天皇と則天武后~日本書紀は外交戦略書~
女系天皇の話題が再燃してますね。私なりに思うことがあるので、書きます。長いので要約すると、”日本書紀に根拠を求めることのナンセンスさ”ですw。そしてy染色体議論はいま生きてる皇室のひとたちの人権無視ということです。いま生きてる皇族の人間は、歴史やモノではないはず、人身御供として献身してる人への敬意を忘れるなかれという主旨になっております。
でははじめますー。
Y染色体とか意味不明なところに根拠を作っていますが、伝統ってなんなんでしょうかねw。Y染色体に入ってる情報は、性別を決定することのみらしいけどねw 男系を主張している人に聞きたいのが、それって何根拠?もしかして記紀?ということ。
というのも
①記紀には男系指定は文章としては明示されていないのが1つ(明治の旧皇室典範から男系が文章として指定(皇室典範)でも私が辿れたのは1947年の皇室典範。男系が明確に指定されたのはこのへんからつまり近代からw)。下記は日本書紀のアマテラスの神勅(神勅っていうのか?w)。とくに男系指定は入ってません。
天壌無窮の神勅
皇孫に勅して曰はく、
「豊葦原の千五百秋の瑞穂の國は、是、吾が子孫の王たる可き地なり。宜しく爾皇孫、就きて治せ。行矣、宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮無かるべし」
【口語訳】
天照大御神が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に勅して申されるには、
「豊かで瑞々しいあの国は、わが子孫が君主として治めるべき国土です。わが孫よ、行って治めなさい。さあ、出発しなさい。皇室の繁栄は、天地とともに永遠に続き、窮まることがありません。」
②次に日本書紀の系譜としての婉曲的男系アピールについて、
『古事記』、『日本書紀』やその他歴史書の記載によれば、「日本の皇統は初代神武天皇から第126代天皇徳仁まで男系(父系)の血筋のみで続いてきた万世一系だと呼ばれ、世界で一つの一族による君主在位の最長記録を更新し続けている」とされる[注釈 1][注釈 2][1]。
日本書紀は正史で国書で、国の正当性を外国、外国と言っても当時は”中国”に表示する目的で作られております(古事記は国内統制のためです)。外交戦略としての書ということになります。
★日本書紀の成立は720年。
★中国で最初で最後の女性皇帝が死亡したのは705年。
かの悪名高き則天武后ですねw。
則天武后以降の中国人が、706年以降に則天武后のトラウマで、則天武后が女性だったため「女性の皇帝はあかん」という女性全般にまで広めて呪いをかけましたw。そこからさらに「女が政治をするのはだめ」という考えが強くなった。つまり705年までは中国では女性・女系皇帝は可能(現実可能だったという意味。もともとそれ以前から女性皇帝という考え自体は否定されがちだった)でしたが、則天武后により女性による統治を否定されたのです。あまりに強烈な統制をしたため、彼女の評価から昇華されて、女性が政治をするのはだめ、という思想がより強固になっていったのです。
したがって、日本書紀が制作されているときは、まさに「女の皇帝はあかんで、国ほろぼすで」という主張が中国でとてもにぎやかしくなっていた時期だったことが想像できます。※また則天武后以前からも中国では女性天皇・皇帝自体を否定する考えはあり、当時朝鮮半島で女性の皇帝がおりましたが、中国は「しんじらんなーい」ということでかなりディスったという話もありますね(630年ごろ)。この朝鮮の善徳女王は呪術面担当でして、卑弥呼と同じです。挑戦や倭国では、それまで実際女性の王は誕生しており、中国的思想特に則天武后以降の、強烈な女性統治の否定、と相入れないところがでてきた。ざ・不都合。
”いよいよまずいな。。。なんとか寄せれないかな。。。”
そういった状況下で日本書紀は制作されていった。
したがって推測するに、日本は当時、中国に、「俺らはちゃんとしてる」を演出するために、中国の価値観に寄せていく必要があったわけで、なぜわざわざ、日本書紀に男系の万世一系を表したかというと、価値観を中国に寄せていくためのものだったことが想像されます。他にわざわざ記載する意味がありませんw。いわば、中国の思想に認めらたいがための系譜アピール。「俺らはときどき女性天皇もいたけど、基本的に男で政治を回してますので、中国さんと同じなんですよ」ってw。見方を変えると、中国で則天武后が万々歳で終業していたら、女性天皇だめ!とか女系はだめ!という主旨は記紀に表現されなかったのではないでしょうか?
つまりもっと端的に言うと、中国思想前提の日本書紀である限り、系譜はコントロールされた、事実と異なっていた可能性があると思いませんか?そしてなぜアマテラスを初代天皇とせず、神武起点にしたか、とか卑弥呼が記紀に登場しないことなども、あくまで中国さんの目線で書いてるからなわけなんじゃないでしょうかね。女起点だと、対中国的に非常に都合が悪かったwコントロールされたことの裏付けとしては記紀間でいるひと、いないひと、がおられますね。系譜、いじくってますよねw また日本書紀は他のくだりでも、いじくった跡が散見されています。
そう考えると、中国さんの、女が政治するのはあかん、という思想に影響を受けていじくってるパートを根拠にした伝統って、はたして現代において正当?wそういった性別での差別思想が根底にある場合も、伝統は伝統として継続すべきなんでしょうか?ということを、現代日本男児に聞きたいものですw。
というわけで、古代歴史ファンのわたくしとしての主張は、
現代人が日本書紀に正当性を求めるのは非常に危険で、日本書紀こそ事実を都合のいいようにいろいろとゆがめて記載した、あくまで外交上の戦略の書であることはせめて理解した方がいいと思う。つまり極論をいうと天皇の系譜だって、中国思想に”寄せていくため”に女の天皇はいるけど全部一応男系なんでっせ、という見せかけにするために、事実と異なる系譜にした可能性は大いにあると思われます。したがって、日本書紀=大正解!すべての教科書!とすること自体ナンセンスだと、思うんですけどね。その日本書紀の性質を理解しないまま、y染色体がどうのとかおかしな論点で議論するのはちょっとどうかな、と思います。それだったらまだ、「いやー日本社会は男尊女卑ですから、女系天皇を認めたら女性が苦労しますから、やめときましょう」っていう理由のほうがまだ納得できますw。
y染色体が決定づけるのは性別がAかBかということでそれしか役割がありません、それ以外の性質は、そのほかのX染色体から両者からしっかり引き継いでいることにもなります。男か女かって、そんなに決定的に大事なことなんでしょうか。私にはわかりません。それって究極の男尊思想以外に何者でもないと思うんですが。。。別にy染色体くらい、引き継がなくても問題ないと思いますが。。。男か女かしか決めないDNAなわけだしw。そもそもアマテラスの子孫の初代神武天皇はアマテラス的な要素(Y染色体)は当然持ってないよねw。それをなぜY染色体という根拠でアマテラス的なものを定義づけられるのでしょうか。。日本書紀にそう書いているから信じちゃう系?wアマテラスから神武の間は、誰のY染色体なんだろうね。そのくらいY染色体の議論はナンセンスじゃないでしょうかw。
本当にこのY染色体議論というのは謎すぎます。究極の男尊論であることを認識せずにおっしゃってるのかな。。。
ちなみにY染色体のない雄も生まれてます。この雄は生殖機能もあるそうな↓
皇室存続のために自らを人身御供にして国のシンボルとして人生を捧げている人が実際に現代におり、それに敬意を払うかたち、つまりその方たちをどうしたらこれからの時代にマッチしていけるか、つまり過去がどうこうより、これからの方をむいて議論すべきなんじゃないでしょうか、科学的な根拠探しなんて無意味かとおもいます。また私は彼らの人権がいま実際ありませんので、それもどうにかした方がいいとおもいます。生け贄制度。人の命はモノじゃない。自分のy染色体がどうのと国中に当然のようにモノのように議論される本人の身にもなったほうがいいよ。彼らはいま生きていて歴史ではない。モノ扱いするのは非常に失礼で人権無視。自分だったらいやでしょw。おもちゃにされてるよ。人間天皇なんですからいつまでも神話みたいなこといわないでいただきたいな。男系維持なんて、差別的思想以外根拠ないしあるとしたら中国さんへの対面なんだからそんなもの、捨てて良いとわたしは思う。
さらに補足情報としては少なくとも縄文中期までは日本人は母系集団でした。めちゃくちゃ原点をたどると日本は母系系譜が大正解、ということになりますので、よろぴw そのくらいこの男系の根拠と正当化は無意味だと、思わない人が結構いるのが不思議でならない。
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