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母が私にくれたもの

【約1100字/3分で読めます】

母が私にくれたものの中で忘れられないものがあります。「ひらがな」の形をかたどったおもちゃです。

綿を生地でくるんで、手のひらサイズのクッションのような形にして、その上に「ひらがな」の形に切り抜いたフェルトが縫い付けてある手作りのおもちゃでした。
(「あ」「い」「う」といった形のフェルトが縫い付けてある手のひらサイズのクッションを想像してください)

裏側にはマジックテープが縫い付けてあり、ひらがなを自由に入れ替えて、単語を作って遊ぶことができました。

ひらがなは全部で46個もあるので、さすがに全部の文字はなかったと思いますが、見た瞬間に「おもしろそう」と思った私は、そのおもちゃでいろんな単語を作って遊びました。

母がいつこれを作ったのか、それを作っている姿は見た記憶がありません。

ある朝、起きたら、そんなおもちゃが私の目の前にあったのです。4~5歳の頃だったと思います。

母にこのことを問いただしたことはなく、なぜ、そんなおもちゃを作ったのか、どうやってこんなおもちゃを考えたのか(どこかで見たのか)、すでに他界しているので、確かめることはできません。

しかし、この時にもらったおもちゃが、私にとって大きな財産だったような気がするのです。

私は同世代の子どもたちよりも、文字を覚えるのがすごく早かったのです。

すでに幼稚園の頃には、母親と乗ったバスの中で「漢字」の話をしていた記憶があります。

それがどんな話だったかと言うと、バスの出口のところにあった「出口」の文字の「出」という漢字を見て、「出という漢字は山が二つ重なっているんだね。おもしろいね」という話でした。

これが母親の言った言葉ならそんなに珍しくもないでしょうが、これは6歳くらいの頃の私の言葉です。

パーツの組み合わせによって、いろんな文字ができていることを幼稚園の頃にはすでに認識していたわけです。

実際には「出」という漢字は「山」とはなんの関係もない文字なので、この時に私が言ったことは間違っています。

しかし、「文字がいろんなパーツの組み合わせでできている」といったことに気が付く視点は、それなりに文字を知っていないと出てこない発想です。

小学校に入る頃には、学校で教わる漢字のほとんどは、授業で教わるより前にマスターしていました。

なぜ、たくさんの漢字をマスターしていたのかというと、その頃の私はマンガを描いていて、ふきだしの中にある漢字をまねして書いていたからです。自分で勝手に覚えたものだから、今でも書き順はめちゃくちゃです。

今は文字を扱う職業に就いて、もっと文字のことを多く知っていますが、最初のきっかけをくれたのは、やはり、母だったのだと思います。

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いっき82
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