誰もが持っている「日常」の愛おしさ
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長嶋有の『三の隣は五号室』を紹介しました。
好きな作家さんなので、特に文章が長くなってしまいましたね。
何度か note でも書いていますが、長嶋有を知ったのは、「ブルボン小林」名義のコラムが先でした。
私が『ファミ通』を毎週読んでいたのが'06~'09年頃で、読みはじめの頃にブルボン小林がコラムを連載していたんですよね。
ゲームに関する文章や本って、どこか閉じたイメージがあったんです。
それはそれでゲームマニアとしておもしろく感じる部分はあったんですが、ブルボン小林のコラムは、それとは一味違うおもしろさを感じさせてくれたんですよね。
「ゲームの世界に閉じていないおもしろさ」という感じがしました。
紹介した『三の隣は五号室』を読んでもらうだけでもわかると思いますが、長嶋有(ブルボン小林)は、ゲームやマンガだけでなく、本当にいろんなことを知っているんですよね。
そういった総合的な知識があるので、『三の隣は五号室』に出てくるような時代ごとの緻密な描写ができるんです(時代ごとに異なる家電やテレビ番組が出てくる)。
ブルボン小林名義で書いていた『ファミ通』のコラムでもそうでした。
ゲームやマンガが現実の世界に侵食してくること、また、逆に現実の世界がゲームやマンガの世界に侵食してくることを、よく取り上げていました。
なぜ、作者がそこにこだわっているのかというと、それこそが作者にとっての「おもしろさ」だからでしょう。
こういうおもしろさは、「閉じた世界」を持っている人からは決して出てこないんですよね。
ブルボン小林名義でやっていたポッドキャストもそうでした。
▼エッセイスト・古賀及子とやっていた『採用ラジオ』
毎回、「この番組は、日常のその先を味わう番組となっております」という、うたい文句からはじまるのがお決まりの番組でしたが、ここでも「日常」の「取り立てて他人に話すことではない」エピソードが満載だったんですよね。
長嶋有(ブルボン小林)のおもしろさには「主役」に主軸を置かない良さがあります(これこそが純文学的生き方)。
どんな脇役でもモブキャラでも、そこには彼らの日常があり、それは主役の日常と変わらない尊さ、愛おしさがあるんですよね。
近年の私は、「日常」「自然」「静寂」をテーマに生きていますが、ここに行きついたのも、長嶋有(ブルボン小林)の影響は大きいですね。
まだまだ長嶋有(ブルボン小林)の著作で読めていないものの方が多いので、それらを読むのも、これからの楽しみでもあります。