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ジャズと私(15)20代半ばにして、ファンクに興味を持つ
【約1500字/4分で読めます】
▼前回の記事
前回までは21歳までに私が聴いてきたジャズを紹介しました。
私が会社を辞めたのは、'04年の春で、'07年に正社員に戻るまでは、ずっとフリーター生活が続いたんですよね。
この間は、無収入の時もありましたし、大体、ひと月の手取りが10万円ほどの生活でした。
'05年に実家を出てからは、生活費も自分で賄わなければならないので、さらにお金を自由に使えなかったのです。
そんな中で、21歳までの音楽にかなりお金を使う生活から、徐々に音楽から遠ざかる生活になっていくのでした。
もちろん、それまでに買った何百枚という CD は手元にありましたから、そういうものを聴く機会はあったのですが、以前のように CD を買い漁ることができなくなったのです。
少しずつ変わっていったのは、正社員に戻った'07年以降でした。
25~26歳頃の私が興味を持ちはじめていたのが、ブラックミュージックだったんです。
20代前半までは私にとっての音楽の中心は、電子音楽、テクノだったんですが、徐々に他の音楽にも興味を持つようになっていきました。
なぜ、この頃の私がブラックミュージックに興味を持つようになったのかというと、そもそもテクノの源流をたどっていくと、ブラックミュージックにたどり着くからです。
10代の頃から好きで、散々、聴き倒していた YMO のアルバムもずっと聴いていました。
そういうものを聴きつつ、これもまた20歳くらいから何度も読んでいた YMO のインタビュー集『OMOYDE』という本も、1年に1回くらいの頻度で読み直していたんですね。
![](https://assets.st-note.com/img/1739048968-fR7smTz0xJcGlik4hEp3UwbI.png)
その頃の私が特に興味を持っていたのが、『テクノデリック』('81)というアルバムでした。
![](https://assets.st-note.com/img/1739049114-18ijqz4DhlFcbQwfZ3aRdYsG.png)
高校生の頃から好きでしたが、このアルバムに関しては、昔よりも今の方がさらに好きになっている作品なんですよね。
それまでの YMO の作品では、電子音の比率がかなり高かったのですが、このアルバムでは、生楽器の演奏も多く取り入れられているのです。
『テクノデリック』に関する『OMOYDE』などでの YMO のお三方の発言を見ていくと、「ファンク」というワードがよく出てきます。
本当はそれまでに私が聴いていた'80年代のエレクトロポップにも、そういう要素はたくさんあったのですが、若い頃の私はそのことをあまり知らなかったんですね。
'80年代にイギリスでエレクトロポップをやっていた人たちの多くが、デヴィッド・ボウイ経由でファンクの影響を受けていました('80年代のエレクトロポップの中でファンク要素が強いもの、また、それよりも少し前のボウイの作品を指して「ホワイト・ファンク」と言われることもある)。
そういうことが「知識」として、頭の中にはあったのですが、実際にデヴィッド・ボウイを聴き込んだこともないですし、本場のファンクともなれば、どんなものなのか、さっぱりわからないわけです。
それでも、私は『テクノデリック』で聴ける、ベースやドラムのグルーヴが好きだったので、そのルーツが知りたいと思ったんですね。
そのような経緯があって、私は本場(アメリカ)のブラックミュージックが聴いてみたくなり、スティーヴィー・ワンダーやマイケル・ジャクソンの音楽を聴くようになりました。
「ブラックミュージック」という範囲の中には、当然、「ジャズ」も含まれるわけで、ジャズにも興味を持っていましたが、まだこの時代は、そこに手を出すまでにはいたっていません。
もちろん、20歳の頃に買ったマイルスやコルトレーンのアルバムは、時折、聴き直してはいましたが。
(続く)
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