生きやすい世界って何だろう?
昨今,多くの人が生きやすい世界を目指すことが重要とされている気がします.しかしながら,多くの人が生きやすい世界とはどんな世界なんでしょうか?今回は多くの人が生きやすい世界を考えてみました.
いろんな属性の人が受け入れられる社会
多くの人が生きやすい社会とは,いろんな属性の人が受け入れられる社会のことです.いろんな属性の人が受け入れられる社会とは,いろんな属性を持った人が属性によって差別されない社会のことです.例えば小児性愛を持った人が犯罪予備軍として差別されないことです.これと同時に小児性愛をケアするような環境を社会が用意することです.なぜ小児性愛の人をケアすべきであるかというと,まったくケアせずに抑圧されれば,犯罪を犯したり,精神を病んでしまったりすることが考えられるからです[1].これは,食欲が満たされない人が泥棒をしたりすることと同じ原理です.人間の欲求を悪として抑圧することは大きな問題を起こしてしまう可能性を孕んでいます.
様々な人が生きやすい世界を目指すためには,バリアフリーの考え方も必要です.例えばADHDを持った人を社会が受け入れても,ADHDの人の周りの人たちが苦労することは問題です.ADHDの人を受け入れる為には,1.ADHDに対する排除をなくす.2.ADHDが定型発達の人たちと同じように社会で生活できるようにする.この2つのステップが重要です.従って,ADHDの人が社会で普通に振舞えるような支援ツールが必要となります.
今後は明確な病名が決まったもの以外の人に対する支援ツールを増やしていくことが重要となっていくと思います.例えば,コミュニケーションがとりにくい人のために,コミュニケーション支援を行う方法を考えることが重要になってきます.今現在は上手くコミュニケーションが取れない人はその個人の問題で,その個人が努力してコミュニケーションをとれる普通の人になることが求められます.しかし,実際はコミュニケーションが取れない問題は,育った環境などの社会によって生まれた問題であると考えることが出来ます.そのため,その人だけの問題として,その人に努力を強いるのではなく,社会が支援することが重要であると私は考えます.
価値観の多様性
色々な人を抑圧しないように,社会が受容することが重要です.昨今ではLGBTQなど色々な属性を持った人が,属性のみで排除されない社会が出来上がってきています.しかしながら,献血ポスターなどの表現についての炎上が目立っていたと思います.表現はどんな表現であっても誰かにとって不快になることがあります.一番分かりやすい例は腐女子の方々で言われる逆カプ地雷でしょう.逆カプ地雷とは腐女子の方々が好きな人同士,つまりカップリングを考える際に,どちらの人が積極的であるかどうかを決めるのですが,どちらを積極的にするかが反対であると戦争が起きることです.例えば,AとBのカップリングの場合,Aを積極的とする人αとBを積極的にする人βに分かれます.その場合,好みが全く真逆の状態であるため,αはβのカップリングを見ると不快になります.
このように,誰かが良いと思っている表現や行為は誰かにとって不快なことである現象はよく起こります.多様性とは様々な人が様々な価値観で生きているため,どうしても他人と価値観が合わずに不快感を与えることも今までよりも多くなります.例えば,結婚しないで独身を貫くことが幸せだと思っている人と,結婚がとても幸せだと思っている人は全く価値観が合いません.この人たちがお互いに自分の価値観を押し付けるようなことをすれば,お互いに不快感を感じることになると思います.その為,多様性の時代には誰かの価値観に対する不快感を許さなければなりません.皆それぞれがそれぞれの価値観で生きて,みんな違ってみんないいという価値観を持つことが多様性では必要になります.ある意味では普通という概念が今よりもとても広くなる状態といえるでしょう.そうなると,当然世の中をコントロールすることも難しくなり,様々な問題が起きるとは思いますが,それが多様性という価値観なのではないでしょうか.
自由とは何なんだ
ここで疑問になってくるのは自由とは何かということです.自由は全員を幸せにするものでしょうか?自由はとても素晴らしいものですが,全員が自由になると大抵強者が利益を得ることになります.今の自由恋愛市場を見るとよくわかると思いますが,モテる男性は既婚でも,彼女持ちでも,複数の相手を得ることが出来ます.女性なら彼氏だけでなく色々な男性からおごって貰えたりすることが出来ます.しかし,モテない男性や女性はいつまでも相手を見つけられません.そのため,自由と同時に弱者をどう救済するのかが重要な視点になります.モテない話においては,モテなくても楽しく生きられるようにしたり,モテない人同士で助け合ったり,お見合いのようにモテない人同士が出会えるような仕組みづくりをすることが重要です.
ただ,こういった弱者の救済というのはあまり進まないことが現実です.実際ほとんどの人は自分が弱者だと認識していないし,弱者はあまりお金を落とすことに積極的でないため,資本主義的な価値観の中では相手にされません.だから,社会的な規範としては弱者にやさしくするような価値観が必要になると思います.例えば,モテないことを揶揄することを社会的にやめたり,お金を持っている人は福祉に投資するなどが必要になります.弱者を強者が揶揄する行為は強者の身勝手な行為です.こういった行為を社会的にどう抑制していくかが,弱者が生きやすい世界になる一歩だと考えられます.
心と認識と生きやすさの関係
生きやすさの一つの考え方に,世の中の捉え方を変えるという方法があります.例えば,他人から幸せだと思われていない人でも,本人が幸せだと思っていればその人は幸せです.逆に他人からうらやましがられるような人でも,本人が不幸だと思っているとその人は不幸です.世の中の生きにくさの多くのことはこの認知によって改善できるます.この辺りにアプローチできるのが,認知行動療法です[2].認知行動療法はざっくりいうと,自分自身の認知を変えることで,行動を変えさせるセラピーの一種です.例えば自己認識を変えさせるために,グループで相手のいいところを褒め合う方法が知られています.これを行うことで,自己嫌悪に陥っている人や,自分に自信がない人が自分自身に対する認知が変容して,今までとは違った行動がとれるようになります.
上記のように,考え方を変えることで今より生きやすくなることは多いと思います.例えば,モテなくても幸せだと考えることが出来れば,モテなくても幸せに暮らすことが出来ます.
この考え方を変えるには個人の認知を変化させる方法と,世間の価値観を変化させることの両方が大切だと考えられます.上記のモテなくても幸せだと考えるには,世間の価値観としてモテなくても幸せであるという価値観が浸透すると,個人が認知を変えなくても幸せだと感じることが出来ます.基本的に個人の価値観は社会の価値観によって形成されます.そのため,個人の認知を変えるためには社会の価値観が変わっていくことが大切です.実際に,女性に対する常識や価値観は,ここ数年で大きく変わったと思います.これは一部の人たちが声を上げ,それが社会に浸透することで,社会の価値観が変わったことによって得られたことだと思います.そのため,それぞれの人が抱えている生きづらさは個人が発信し,社会に認知され浸透することで,多くの人が生きやすい社会になると考えられます.こういった個人の生きづらさを多くの人が多様性として認めることが大切になってくると思います.
まとめ
まとめると,多くの人が生きやすい社会にする為には2つのことが必要になります.1つ目は様々な価値観を社会が認める事,2つ目は足りない能力を補完するような支援が必要になります.そのため,SNSなどで自身の生きづらさや新たな価値観を発信し,支援の形の模索や新たな価値観の醸成を行うことが必要になると考えられます.SNSで個人が世の中を変えられる世界になると良いですね.
参考
[1]松永寛明, & 間庭充幸. (2006). 間庭充幸著 『若者の犯罪--凶悪化は幻想か』. ソシオロジ, 51(1), 191-198.
[2]今井正司, & 今井千鶴子. (2011). メタ認知療法 (< 特集> 認知/行動療法). 心身医学, 51(12), 1098-1104.
[3]佐藤寛, 今城知子, 戸ヶ崎泰子, 石川信一, 佐藤容子, & 佐藤正二. (2009). 児童の抑うつ症状に対する学級規模の認知行動療法プログラムの有効性. 教育心理学研究, 57(1), 111-123.
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