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核共有について考えてみた

賛成派の論理

ロシアのウクライナ侵攻が激しさを増す中で、日本の防衛政策に関する議論が湧き上がってきた。自国に米国の核兵器を配備して共同運用し、核抑止力を「共有」する「核シェアリング(共有)」政策である。実際に北大西洋条約機構(NATO)に加盟するドイツ、イタリアなど5カ国に、核爆弾が配備されている。

安部元首相が侵攻4日目の2月27日テレビ番組で、ソ連崩壊後にウクライナが核兵器を手放した経緯に触れ、抑止力強化に向けて「(核共有の)議論をタブー視してはならない」と提起。自民党の福田達夫総務会長や日本維新の会などが同調した。

核シェアリングに賛成派の論理はこうだ。

  1. ロシアがウクライナに侵攻した

  2. ウクライナが非核化していなかったら、また核共有を実施しているNATOに加盟していれば、ロシアは侵攻に踏み切らなかっただろう

  3. 中国や北朝鮮、ロシアという核保有国を隣国に持つ日本も同じ脅威を抱えている

  4. 国家の安全と独立を守るために、日本も核共有が妥当性をもつ

――ということだ。

たしかに主権国家間の戦争が起きた以上、自国の安全を守る議論は必要といえる。

だがまず、今回のウクライナと日本の状況を同じように考えることはできない。

核共有の問題点

ウクライナがNATO非加盟である一方、日本はアメリカの核の傘の中にある。日米安保条約により、日本に核兵器が打ち込まれれば、アメリカが使用した国に核兵器を打ち込む。いくら核の傘が破れているといっても、議論されている核共有も、NATOのものを踏襲すれば、日本は投下を行うのみで、使用の決定権はアメリカにある。図式はほとんど変わらない。

さらに核共有について、NATOで配備されているのは「戦術核兵器」だ。射程は500キロ以下と短い。地続きになっている国々であれば、他国に打ち込むことも可能であろう。海に囲まれている日本だと、仮に福岡に配備しても、ロシアや北朝鮮には届かない。使える可能性は本土決戦でしかないということになる。

さらに「安全保障のジレンマ」の問題を引き起こす。日本の安全を確保するための行動が、隣国への攻撃を企図した行動と受け取られ、対抗措置を呼び起こし、双方の安全が却って低下するのだ。長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)の西田充教授は、「『NATOモデル』の核共有を日本に導入するのであれば、むしろ有害だと考えています。特に、核弾頭の貯蔵施設は有事の際、(相手から)核の先制攻撃を受ける恐れがあるからです」と指摘し、日米の核共有のメリットは「ない」と断言している。

核共有自体、核拡散防止条約(NPT)違反という声も強い。NPTの条文では「核保有国が非保有国に核兵器を供与」することを禁じている。NPT交渉の時点ではNATOのシェアリングは秘匿されており、なし崩し的に既成事実化したものである。

日本政府は、唯一の被爆国として、核保有国と非核保有国の橋渡しをになって、NPT体制での核廃絶を目指してきた。日本が仮に核兵器を配備する事態になれば、他の国でも核共有や核保有を議論する余地を与えてしまうことにならないか。

「ダモクレスの剣」をつるす細い糸

さらに議論を進めて、核兵器を日本が単独で持つ場合はどうか。

国際政治学と軍縮が専門の一橋大学の秋山信将教授はこう語る。

「核を単独で持つ場合も、中国に勝つシナリオを見いだせません。中国に『負けるかもしれない』と思わせなければ、抑止のチキンゲームでは見透かされます。国土の広さや国富の集中度などを考慮すると、中国よりはるかに大きな核戦力がないと日本が勝てる見込みはない。やはり日米同盟の実効性と信頼性向上が重要だと思います」

3月10日付「朝日新聞」

核兵器ありきであれば、破綻は目に見えて明らかだからこそ、核兵器の議論自体、避けた方が効果的なのである。

大事なのは、「核兵器を使わずに、どのように日本の安全を守るか」である。核軍拡競争を誘発することほど愚かなことはない。しかもそれが、安全保障上の効果が薄いとなればなおさらだ。それは単なる、ロシアのウクライナ侵攻という危機に乗じた、不健全なナショナリズムの高揚なのではないか。「ダモクレスの剣」をつるす細い糸を、さらにか細くすることが賢明な選択肢だとは到底思えない。

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