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いつまでもあると思うな親と金

子供の頃の話をする時に、必ず話題そっちのけになってしまうのが、うちのおかんである。僕が高校に上がる頃まで、当時のバブリー感が抜けずに一緒に歩くことでさえ、本当に恥ずかしいと思うほど強烈な存在だった。

女手一つで僕と妹二人を育ててもらったので、まだ幼い頃は近くに住む親戚やおばあちゃんの家で預かってもらったこともよく覚えている。当時はバブリー世代真っ只中。格好も控え目に言ってもドが一つでは足りない程のド派手。

ピンクのスーツに触覚のような前髪、真っ白なファンデーションに、強烈な香水。香水のせい、、なんかでは収まりきれない、極々普通のお母さん、普通の家庭にその頃から憧れはあった。

中学校での授業参観は、僕を含め当時から仲のいい友達でさえ今も鮮明に覚えている。おきまりの肩パットが入ったスーツに厚化粧、香水の匂いとヒールの歩く音で後ろを振り向かずとも、その存在がわかるほどであった。

もちろんゴリゴリの思春期。一緒に歩きたくない、一緒に行動したくない。当時はこれが思春期とは知らず、ただただ恥ずかしいとだけ思っていた。

そんな母親の元で育ったので、当時から親には頼らず自立する生き方しか考えていなかった。もちろん勉強も大嫌いだったので、良い大学に入って良い会社に就職するような、いわゆるエリートの道は一切考えず、自分で何かするしかない。その一択しかないことは当時から自覚していた。

いま思うと、当時の経験が自立心に繋がり色んな意味でも鍛えられたので、話のネタや反面教師と思えばまぁ悪くはない。そんなバリバリ派手だった母親も還暦を過ぎ、姪っ子もできておばあちゃん。

先月、家族や親戚と行った淡路島へのプチ旅行のように、親世代がまだまだ元気なうちに、こういう機会を増やさないとな。お母さん、これからも元気でいてね。

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