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震災から14年を前に

私は今回2025年2月17日~2月19日まで”ふるさと愛”プロジェクト福島の過去と未来に出会うに参加した。
このプログラムは福島の人との交流やフィールドワークを通して福島の魅力を発見し「ふるさと愛」について考えるプログラム。
全国から南は岡山、北は岩手と沢山の福島に興味がある大学生がふくしまの魅力、具体的には福島第一原発事故で被災した地域の魅力を発見する2泊3日のプロジェクトである。

行程表

なんで参加したかでいうと今1年で一億を売上をつくる女子大生として日々奮闘している紺野陽奈さんの影響である。
彼女と知り合ったのは高校2年生の夏ごろでSFFに入ってから知り合った。彼女はその時高校3年生であった。その時に当時SFFの創始者の大川翔さんに陽奈さんが頼み込んで南相馬に震災について知りに行った投稿を当時高校2年生だった自分がそれを見てずっと行きたいなと思っていた。
陽奈さんが行ったのは請戸小学校だった。そして、今回星萌生さんがイベントの募集をインスタでやっててちょうど行くコースに請戸小学校があって参加費も宿泊費も交通費も無料だったためこれはいくしかねえと思って今回参加した。

1日目

一日目は埼玉から郡山に朝から移動だった。当日の0時頃に準備がおわって寝ようとしたけど寝れなくてそのまま朝を迎えてしまった。なので寝ることを諦めて出発した。
新幹線めっちゃ混んでて思ったより空きがなかったのが衝撃だった。その混雑は宇都宮までだったけれど大宮から宇都宮まで出勤で使う人が多いという事実にすごくびっくりした。
無事到着したけれど早く着きすぎたので郡山駅ナカスタバで時間を潰しつつ集合時間近くなって向かったら徐々に集まりだしてきた。

しかし、ここで一つ課題が発生する。一人で参加したためぼっちなのだ。
ぼっちなのが嫌いなのでとりあえず手当たり次第に出身は?どこから来たの?って質問して時間を潰すことにしてそこで気が合った子とバスに乗った。
やっぱり自分から声をかけることって大切。

そして、バスの中でいろいろ話してコミニュケーションしていって、そのバスの中でNPO法人の先生が仰っていたことの一つに

「東日本大震災は浪江でおきたのではない。浪江で暮らしていた人々の暮らしの上に落ちた。」

そんな言葉を胸にしながら実際に伝承館や請戸小学校に向かうと国がどう対処したかを学べるのが原子力災害伝承館、浪江町民の方がどう思っているのかを知ることが出来るのが請戸小学校。
その請戸小学校の中の展示に震災前の人々の請戸地区の様子をミニチュア模型で再現された立体地図がある。その中に色々書き込みがあって例えば誰誰の家とかっていうのが再現されていて、それを見ると人々の暮らしの上に落ちたというのが説得力があった。

模型の上に書いてあるのが日常

伝承館でも請戸小学校で実際に被災して避難した方のお話を伺うことができた。その中の先生方の対応がとても命を落とすことがなかった対応だったのだと感じた。例えば、避難先の誘導を生徒に任せたとか途中で親が子供を迎えに来ても浪江町役場で会いましょうということで生徒が誰も犠牲にならなかったという対応。
ここで大事なのは避難先を決めておくことが大事だと感じた。

その後Jvillageに向かって翌日のフィールドワークをどこにするかを決めるためにお話を伺ってジン作りに取り組んでいる方やジーンズを使って事業をやっている方、バウムクーヘン作りに取り組んでいる方などのお話を伺った。
そして、夕食も兼ねた交流会になりそこで沢山の学生の人と話したりした。沢山の学生と話して東北大とか岩手大とか福島大とか岡山大とか沢山色々集まっているなと感じた。
今回の旅のアドバイザーをやっている先生方二人と話したところうちの大学の高木先生の同僚だったらしくご縁を感じた。案の定二人とも飲兵衛だったため飲兵衛の周りには飲兵衛しかいなかった。

高木先生の同僚パート1
高木先生の同僚パート2

学生にも東北大で沼津出身の人がいて共通の知り合いの金沢大学地域創造学類のH山しってます?って聞いたら高校の同級生だったぽくてとても縁を感じた。
その後の2次会で福島県県庁の方とお話した時に印象に残った言葉が

「こういうツアーに参加すると福島のためになにかやらなっきゃと思うだろうけど、福島の食べ物や酒を飲んで福島いいなって思ってもらえてインスタで写真をアップしてそれを見て福島っていいなって他の人に思ってくれて実際に来てもらうだけでこのツアーを開いた意味がある」

という言葉が印象に残った。
自分も福島出身で福島について沢山探究してきて福島のためになにができるんだろうと考えていたからこの言葉がとてもなるほどと思った。
それだけでいいんだって。ふくしまいいなって思ってもらえるだけでいいんだって。

そんな感じで2次会を終わらせてそのままのテンションでJvillage近くの海に行ってきたけどみんなベロベロでちょっと心配だったけどとても楽しかった。写真も綺麗に撮れたし。

Jvillage近くの海
星空

二日目

2日目はJvillageの朝食からはじまり、みんなの2日酔いが心配だったけど大丈夫だったみたい。
思えばこんな風にホテルの朝食を食べるのは中学校の修学旅行以来。コロナで高校の修学旅行も中止になって、個人的な旅行もホテル宿泊はしたけれど素泊まりとはネカフェ泊りとかでそんな感じだったため実に5年ぶりだった。旅行でホテルに行って朝食を食べるという体験をこれからもっとしていきたい。

2日目は最初飯館村に行って最初に菅野さんのお話を伺った。
そこでお話に出てきたのは地域コミュニティの崩壊だった。飯館村は原発から少し離れた地域だったため避難してくださいという要請がでるまで一ヶ月かかった。そこで色々国と国際機関でゴタゴタがあって避難指示が出るまで時間がかかったというお話」を伺った。
菅野さんは震災発生後、今回伺った場所を拠点に飯館再生の会を立ち上げて大学、国、県と多様な組織と協力して行っていた。菅野さんにとっての復興でお話していたのは持続可能な地域コミュニティの創出とおっしゃっており災害時に地方における避難の課題、阪神淡路大震災で課題となった避難による地域コミュニティの崩壊によって震災関連死が持続可能な地域コミュニティを作ることで減少する可能性があると感じた。

説明してくださった菅野宗男さん


次に図図倉庫に行った。
そこはコメリを改装して作られた施設で中にはいろいろある。例えばコワーキングスペースとかアトリエとか映画が見れるプロジェクターとかがあった。そして、人類の起源から飯館村の現在。そして、放射線について学べる博物館機能もあった。中の展示はよくある博物館のようなところではなくアートを交えたものであるためとても面白い展示だった。

ズットソーコのアイコン
管理人の矢野さん
博物館的展示
紡がれていた言葉

昼食を食べに道の駅浪江に行った。
今回食べたのはシラス丼となみえ焼きそばだった。
私の高校の担任は浪江町出身で被災した当時の一人である。実家は今も帰還困難区域で帰れていない。そんな担任の先生がなみえ焼きそばのことについてほぼうどんって言っていたのでいつか食べたかったものの一つに入っていた。食べてみて麺は太いけど全然別物だろという結論に行きついた。これが震災から一年後のB級グルメグランプリで1位取るんだもの。日本中が福島を応援していたんだなと思う。
大堀相馬焼に書かれた「何事も馬九行九」が「なにごとも上手くいく」とメッセージが書いてあり南相馬で有名な野馬追と掛け合わされておりとても面白いと感じた。

昼食で食べたしらす丼と浪江焼きそば

次に向かったのが株式会社ウッドコア。
福島イノベーションコースト構想で浪江町に工場を置いている企業。
国産木材を使用して圧縮木材を作り、納品しているBtoBの企業の工場見学をした。工場の中は木の匂いがしていた。
浪江町も含む被災地域は津波で流されたり、原発事故で避難して家も建ってない、取り壊しされていて土地が余っている現状である。そのため、企業が進出するには土地も安いというメリットがある。企業の大規模工場が進出するにはうってつけの場所だと思う。だが、そこで課題となってくるのが労働従事者がどこまでいるかが課題となってくる。出向でくる人もいるが全部が全部出向では成り立たず、地元雇用が必要だ。
そして、福島なので企業のイメージ問題もあってそこまで進出したがらない、そこに工場を立地させることでの圧倒的なメリットがあまり考えられないためそこまで沢山の企業が進出していることがない。
逆に福島イノベーション構想に向いている人はやっぱりこれから起業する人だろう。その中でもものつくり向けにはとても有利なものであると思う。

ウッドコアの事業内容

最後に向かったのは南相馬小高にあるOWB株式会社である。
ここもずっと行ってみたかった場所だ。陽奈さんも大学1年の時に行っていたり、SFF創始者大川翔さんもここでzoomしていたりしていて、ここの創設者和田さんとも2023年秋に恵比寿でお会いしたり、大学生やりながらここの社員として働いている中村美鈴さんとインタビューしていきたいと思っていた場所であった。
写真でずっと見ていたためとても広いコワーキングスペースをイメージしていたが実際行ってみたらそこまで広くなくこじんまりとしたところだったのが衝撃ポイントである。なぜ勘違いしたのかと考えると狭いスペースを階段を作ったり狭いスペースを有効活用して特徴的な作りなっていたからだろう。建物の作りがとても面白かった。
そこで只野福太郎さんに今までのOWBの変遷とか福太郎さんが何をしているのかというお話を伺った。
福太郎さんとはこれを含めると3回目だ。きっかけはSFF創始者大川翔さんのなんかのキャリアコーチングのことを始めたときにやり始めた時にお会いした。
そこで印象に残っているのがキャリアの話だ。
福太郎さんはOWBでのコミニュティマネージャーをやりながらも様々なことの役員にもなっている。それを川下りキャリアというが自分は今まで山登り型キャリアという目指すものがあるキャリアがいいとずっと思っていたが来たチャンスを得てそこで自分がいいなと思うものがあったらやってみる川下りキャリアも今回福太郎さんのお話を聞いてアリだなと思った。
心配なこととして色々抱えこんでキャパオーバーしそうなのが難点だ。そこに気を付けて今後のキャリアを積み上げていきたいと思う。

OWBの企業概要
これまでの変遷
中村美鈴さんに撮ってもらったもの
看板持って撮ってもらった
スライドの1場面

そしてホテルに向かった。今回泊まったのはダイワリンクホテル南相馬。
ここはビジネスホテルだけど部屋を通ってみると部屋の掃除はしなくていいですという表示がされているところが多く長期宿泊者が多めの印象だった。
ここは夕食がなくて朝食のみだったため近くの居酒屋で夕食を食べることとなった。そこで食べ放題で予約されており刺身だったり唐揚げだったりめひかりだったり沢山出てきて途中でおなか一杯になった。

3日目

3日目はホテルの朝食からはじまった。
ホテルの朝食を食べている時に気づいたのが沢山の社会人の人が食べていることに気が付いた。想像以上に小さいビジネスホテルなのに多いと思った。
ビュッフェスタイルの朝食だと沢山取りすぎて食べれるかどうか不安になったけれど無事完食。

Jvillageにまた戻り3日間やったことについて2枚のパネルにまとめる作業をした。私自身これをやるのが苦手だったためどのようにまとめたらいいのかわからなかったが他のメンバーがリードしてくれたため無事2枚のパネルにまとめられて発表まで終えれた。

なお、昼食を食べた後私は眠気がすごくなって途中居眠りするという大失態をかました。多分このプロジェクト前代未聞の事件だったろうなと思う。
ほんとすみませんでした。

製作途中
完成した時の資料



そんな感じで3日目が終わり郡山駅に到着して解散となった。

終えてみて

今回のツアーは今まで行きたかった場所にも行けて、食べたかったものを食べれて、意外な共通点がある人とお会いすることができたそんな3日間だった。
今までの人生の伏線回収をしているそんな感じだった。このまま人生終結になりそうと一瞬思ったがまだ死にたくはないのでまだ生きる予定だけどいつか死ぬかもなと最近思っている。
知り合いが誰もいない中でのツアーだったけれど終わった今はみんなと知り合いになれたのでここから様々なご縁とか付き合いが出来たらいいなと思った。
今までは福島について探究してきたり色んなところにいってきたけれどこれからは他の地域に探究したり、旅行したいなって思った。ホテル宿泊で一人旅でどこかに行けたらいいなって思った。お金はかかるけどそのためにバイトを頑張りたいと思う。生活費もできるだけ抑えて節約も頑張りたい。
今回のような楽しかった旅をやっていきたい。

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