【毒親】「ありのままを受け入れて貰えなかった経験」が私の全てを歪ませた
毒親による人との関係を築く上で致命的な影響を与えた2つのうち1つ、「ありのままの自分を受け入れてもらえなかった」経験だ。
「コレが食べたい」「トイレ行きたい」と言っても拒絶され、益々自分の意見なんて持つ必要がなくなっていき…
親の顔色を察せない悪い子の自分は受け入れて貰えないという思いから「良い子を装った」。
過程は元より、テストで100点をとっても褒めず「がんばれ」としか言わない父に惑わされ、元々のこだわり・潔癖な所もあり「完璧」を目指すようになり…
「無限にダメな自分・足りない自分(頭の良さ)」と向き合わされ続けた。
私は、持ち前の器用さとオールラウンダーさで、スポーツも勉強も、全てにおいて成績優秀な優等生で居続けた。両親・祖父母にとっての自慢の娘で居続けた。そんな私の中身は恐怖と不安で、空っぽだった。
(実際の親は、そこまで子どもに優秀さを求めていないし、私の努力も知らないし、頭が良いもんだと思っていた。)
元々の面倒見のよさから、段々と自分の世話だけじゃなく、相手の世話までもこなせるようになっていた。
そのうち(元から?)自分と他人の区別がつかなくなり、抱え込みすぎて困った時があっても、誰かに助けも呼べず、呼ぶ必要があるとすら思わず、自分一人の力でなんとかしようと苦しみ、思考し、対応し、「ここで出来ないのはバカなのだ、私は違う」と、結果、根性で耐えぬいてしまった。
そうして私は、「私がどうしたいか」を聴いて、叶えてくれる相手を必要としない人間になっていた。
それは、相手からの要望に応える術は必要でも、「私がどうしたいか」の考えを持つ必要が、全くなかったから。
「私がどうしたいか」を言って欲しいなんて思う人が、これまで存在しなかったから。
私はいつでも誰かの道具。「懐刀」であることを誇りにすら思っていた。誰かの何かを叶えるのに、感情なんて要らないから、いつも無表情か、もの悲しげな表情を浮かべていた。自分を必要としてくれた、相手の目標や野望を達成するのに、身を削って全力で頑張った。同じ夢を見ていることが幸せなのだと思い込んで。相手の要望を叶えられるマシーンとしての精度を増していった。
1番長く接した関係性の在り方だからそれが正しいと「思い込む」。
そうして、私に要望ばかり言う人が、私を私で居させてくれるのだ。道具の私を一番うまく使ってくれる人が、相性の良い人なのだと、思うようになって、求めていった。
相手の願望を要望を叶え続けることで、私は私で居られた。
相手はみんな私に要望を言う人なのだと、実際はそうでなくても、そうじゃないと自分の存在意義が失われるので、無理矢理にでもそうなのだと思い込むようにすらなっていった。(実際、元彼は、「私に意見を言って欲しい」、「私がどうしたいか言って欲しい」と思っていた。)
こうして、どんな相手にも、自分の意志より他人の顔色・意向を伺い優先する私になった。
受動的に生き続けた結果、物心ついた時から何十年も得体の知れない生きづらさに苦しむ羽目になる。
無限に努力できる一方で努力の方向性は、間違い続け、私の心は摩耗していた。どれだけ努力しても自分はダメなのに、自分に自信なんてもてるはずもなかった。
私が彼に婚約破棄されのは、私に、彼の道具じゃなくて、血の通った「パートナー(人)」で居てほしかったからだと、書いてて気づいた。。(わー…コレに関しては別でまとめさせて…)
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