真面目さの処理・対処の仕方をいかがしたものか。
ひたすら真面目だと昔から言われてきた。
それを個性だとも受け取っている面もあるし、それが長所だよと言ってくれる人もいる。
その真面目さから由来するものと思っているのもの、《正確さ》や《正しさ》を優先にするところがあり、それが楽しさを上回ることがあり、他人にとっては《押し付け》や《決め付け》になっているときがある。真面目さが自分の個性であり受けて入れているものの、他人が不快に感じている時には心地よさや私らしさは感じない。
この真面目さから来る《正確さ》《正しさ》の処理をいかがしたらいいものか。凄く悩んでいる。
“心地よくない”裏には、過去から大事にしてきた信念・思い込みがある。今回、私に心地よさを与えない《正確さ》《正しさ》の裏にある思い込みとは、おそらく
バカになってはいけない
無駄な人生ではならない
頭はよくなければならない
賢くなければならない
質高く生きなければならない
楽に生きてはいけない
などだ。この発想には「~ねばならなない」「~べきだ」などが含まれている。この思い込みを緩めてみる。
バカになってもいい
無駄な人生だっていい
頭はよくなくてもいい
賢いにこしたことはない
質高く生きるに越したことはない
楽にいきたって良い
この作業をすると、拒否反応が起こる。んなんしてたら「ダメになるわ!!」「んな人生不安すぎる!!」って。
そう、ここで登場するのが
「自分らしく生きるのは自分を甘やかすことではない」
「自分を許すことは自分に妥協することではない」
これだ。
じゃ、どうすることなんだ???
この答えを出したくなるのだけど、その前にやらなきゃならないことがある。思い込みを持った自分をぎゅっと抱きしめること。頑張ってバカにならないように張り詰めていた自分を優しく・大切に・大事にぎゅっと抱きしめること。
見せなさい。私に見せなさい。包み隠していたものを見せなさい。今は私が見てあげるから。握り締めていた手を広げて手放しなさい。大丈夫あなたは愛で溢れている。だから安心しなさい。今は私が見てあげるから。勇気を持って手放しなさい。愛は手の中にはない。あなたの中にあるから。
“頑張らないと褒められない、愛されない”
やはりここにあった。両親が好きだったから、私が頑張ると両親は喜ぶから頑張った。「こんなテレビばかり観てるとバカになるぞ!」父のこの言葉とリンクして私は頑張る人生を送っていた。だから正確でなければ、正しくなければダメになる。楽しさは二の次だった。
私の知っていることを全て伝えることが、相手にとってイイことではなく、相手が欲しがっているものを持っていたとしたら、伝えればイイ。相手が求めているものが何なのかを知ることと同時に、私が持っているものはこれだよと相手に伝えていかなければならない。
察し合う事ほど無駄なことはない。察するエネルギーが無駄である。思いやりは相手へ矢印が向いているが、察するというのは察して欲しいという自分へ矢印が向いているときに使っている。察するのを辞め思いやりで溢れたい。
自分を許して、自分らしさはここにあるんだと、自分は何者であるかを伝えることが自分らしさの責任だ。