期待する相手はじぶんとは「違う」存在という孤独。その「違い」を尊重出来るか。
期待の裏には、相手を大事と思うから、相手を大切と思うからこそ、抱いていしまう、もはや、反応のようなもの。脳の仕業だと思う。
期待の裏には愛が溢れている事を先日ハッキリと気付いて書いたnote記事。
愛した相手なら、いとしい相手なら、共にしたいともうから、同じ気持ちでいて欲しいから、期待してしまうのだろうね、、、だから、期待自体は愛に溢れていると思う。期待するということは、そこに愛がある証拠でもあると思う。
もし、期待の裏には、相手を大切にしたい・大事にしたい、そういう愛があることに気付けたら、、、
その期待を、相手に「期待すること」に使うんじゃなく、じぶんの「想いを伝える」ことに使う必要が出てくる。
もし、このじぶんの想いを伝えないとしたら、湧き出てくるようなじぶんの反応、もっといえば感情に近いエネルギーに蓋をすることと同じようなものだ。エネルギーは解放しないといつか感情は爆発するし、制限し続けていると今度は何も感じなくなる。
ここで出てくるのが「伝え方」いわいる、ノウハウであり、コミュニケーションになってくる。コミュニケーションはノウハウで、スキルであるから、上達可能なものである。
期待する裏には、愛があると知れたら、愛を持って相手に伝えたい。
じぶんは愛ある人間だという前提に立って、ならば相手も愛ある人間だという前提に立って、相手を信頼して、感情的にならず、自分が大切にしたいものを大切にして欲しいと思っているんだ、と少しづつ伝えて欲しいと思う。
ただし、ここで相手はどう思うかは分からない。そう、「期待」通りにはうなづかないかもしれない、、、すぐには上手く伝わらないかもしれない。
「それは、出来ない。いや、それなら出来るかも。それは分かるけど、こっちは分からない。」
これは相手が決めることだ。でも、ここでもうガッカリしないで欲しい。そして、問うて欲しい。
「相手とじぶんはそもそも同じものを大事にする人間なのか??」
似た価値観を持つ同士、一緒にいるのが心地よい。だから一緒にいる相手。でもその心地よい相手が違う価値観を持っていたとしたら、、、違いが明らかになったとしたら、、、それを目の当たりにするのが、しんどいんじゃないだろうか??
それって「違い」を尊重し合えているのか??
でも、きっと大切な相手なら、あなたを大切に思っていてくれる相手ならいつか、じぶんの大切にしたいものは分かってくれると思う。
相手に分かってもらえない時があったとしても、、、じぶんで大切にしたいものは、じぶんで大切に出来ることが一番大切なこと。それがじぶんを信じるということ。じぶんの大切なモノはじぶんのものだから。