自分を小さくすることでチャレンジが大きくはだかる壁になっていた!
私は限りなく自分を小さくしていた!
自信がなくて、私っておかしいのかな??っていつも思っていて、これだ!と思ったものもいつも「なんか違う!」って思ったり、「なんで私の事をもっと大事に扱わないんだろう??」「こんなに私って貴重な存在なのに!」って思っていた。
自分にとっては簡単に出来ないことを、するりとやっているように見える人を見ると、なんだかモヤモヤしてしまって、次の瞬間行動すればいいのだけど、「あぁだから私はやっぱりダメなんだ…」ってがっかりする。一度ガッカリすればそれはらせん状にガッカリしていく。そしていつも行動は後回し。
そんなことを繰り返していては、行動することのハードルが上がるのも無理はないもの。
「行動からしか、変化は生まれない!決断が人生を決める!」
そんなことを言われて、私は行動や決断のハードルをめちゃくちゃ挙げていたように思う。小さい自分をでっちあげているのに、ハードルまで高くしては乗り越えられない壁が、はい!完成!
「行動」を私以外の人はどう捉えているか、聞いてみたいところだけど、私は「行動」をすごく大きいもの・難しいものとして捉えていた。
これはイコール、大きなこと・難しいことを達成することがすごい!→評価される→自信がつく!そう思っていたように思う。
でも、今朝、目覚めて降ってきたのは、選択の積み重ねが、いつの間にか大きな決断になっている、ただそれだけだ。自分で選択し決めてこなかった人にとって、大きくみえる決断をしようとするのは、自転車に乗れない人がバイクに乗るのと同じこと。
選択し、自分自身で決めること、その行為が幸福度を上げる。自分で人生のかじ取りを出来ていると思えるから。
難しいか、簡単かどうかは関係がない。自分で選択することに大きな価値がある。選択することはもうその時点で決めたと同じこと。「決断」という力のある言葉に私は打ち負けていた。選択することで、他の選択を「断って」いるじゃないか。「決断」しようしようと思わなくても、選択すれば、決めていることになるんだ。
いつも、いつも、私は自分を小さくすることで一歩踏み出すことを重たくしていた。いつもいつも、私は自分を小さくすることで、周りを大きな存在に仕立て上げ、孤独を感じていた。いつもいつも自分を小さくすることで、目の前で起こることを乗り越えられないような高さに仕立て上げることで、勇気をもったチャレンジを出来ないでいた。
この認識、私の大きな勘違いが、私を生きづらくさせていたようだ。いくら自分の可能性が見えても、いくら自分のリソースが分かったとしても、チャレンジできない理由がはっきりと分かった。
そしたら、、、、はっきりと気付いたら、、、笑えて来た。
そして、小さかった私でも良くやったじゃないか。って思えることがたくさんある。そこには自分を大切に思う、愛しかない。
ありがとう。小さな自分。。
小さな自分は、ずっとそこにいていいから。私の胸の中に住んでいていいから。出番は少なくなるけど…