LIGHT UP NIPPON IKI ISLAND 2018

2018.8.11、長崎県の離島:壱岐島の郷ノ浦町という町で花火が上がってから、ひと月が立った。

この町で花火が上がるのは、実に24年ぶりのことだ。

花火大会としては、38年ぶりだった。

『LIGHT UP NIPPON IKI ISLAND』と名付けたこのプロジェクト。

僕は今回、このプロジェクトの発起人でもあり、事務局としてプロジェクトの中枢を担うこととなったわけで、話せば長くなるのだが、自分の備忘録としても、この軌跡を記しておきたい。

まずは『LIGHT UP NIPPON』というプロジェクトとの出会いから。

僕は2017年12月27日まで壱岐市役所に勤めていた。

現在は個人事業主。今風に言えば、フリーランサー。

企業のアドバイザー、WEBサイトやポスターデザインを作ったり、カメラマンやWEBライターなどをやっている「何でも屋」だろうか。最近はマルチワーカーとも言っている。(あっているかはわからない。)

正直、公務員よりは稼げていないが、自分のやりたいことをやってる。

市役所在職中は、税務、庁内ネットワークや地域情報化、観光商工などの仕事を行ってきた。役所内では「花形のセクションを渡り歩いてきたなー」と思う。25才で役所に入り、常に忙しい部署にいた気がする。

移動は駆け足、昼ご飯もそこそもに仕事していたし、税金で給料をもらってる以上、自分のコストパフォーマンスを最大化することが当たり前と思っていた。

『LIGHT UP NIPPON』は、2017年の秋ごろに知った。公務員人生最後の1年間で出会った人たちは、僕の生涯の中で大きな意味を持っている人たちばかりだと思う。

その中に、『高田 佳岳(たかだ よしたけ)』という人がいた。

高田さんは、2011.3.11から東北被災地を中心として全国で花火をあげるプロジェクト『LIGHT UP NIPPON』の活動を行っている人。

高田さんと、僕は2017年2月に出会う。

当時、僕が市役所の観光商工課の職員、高田さんは国境離島の調査チームの一員。壱岐島の農水産物や観光の現状を伝えたり、事業者を紹介しただけで、花火の『は』の字もなかった。

そこから何となく、イベントや飲み会で一緒になるうちに、「この人、何やってる人なんだろう?」といういつもの疑問が浮かび上がってきて、色々調べてみたら、『LIGHT UP NIPPON』にたどり着き、ドキュメンタリー映画と本をAmazonで買って、そのナゾが解けた。


想いがつながる瞬間のゾクゾク感とこみ上げ感。

単純に「すごいな」と思う。

詳しくは割愛するが、こちら2013年のインタビュー記事を参考に。


3.11の時、僕は市役所でケーブルテレビ事業の大詰めを迎えていた。壱岐島全域に光ケーブルを張って、テレビやネットサービスを開始するのをわずあ半年足らずでやるというよく考えたらかなり無茶な事業を3月末までに終わらせるために猫の手どころか、孫の手だって借りたい程、忙しい頃。

3.11の光景は、事務所のTVで見た。

当時、ケーブルテレビ事業では、防災告知サービスも構築することになっていて、行政防災情報が全市民にタイムラグなしにクリアに伝達できるシステムが出来つつあった。

その矢先の、3.11。

自然の脅威と人間の、自身の無力さを感じながら、「今、やっている仕事はこういった災害時に必要不可欠なものだ。絶対、役に立つ。」と自分が今やるべきことを再認識したのを覚えている。

プライベートでは、岩手県や福島県にふるさと納税したり、インターネットで被災地の情報収集をしたり、有益な情報をfacebookで情報拡散したりしてた。朝から夜まで仕事をして、夜はネットサーフィン。

そんなこんなで(かなり省略)、ケーブルテレビの仕事から観光の仕事に異動になり、自分の将来を考えるようになり、2017年の春頃はにちょっと心を病みつつ、5月に役所を辞めることを心に決め、2017年12月に退職。

その頃、「壱岐で唯一、郷ノ浦町だけが花火上げてないんだよな。なんでだろうなぁ?LIGHT UP NIPPONと一緒に花火上げれないかなぁ?」と何気ない疑問と期待を頂きながら、僕の頭の中では郷ノ浦大橋に花火がかかる画がすでに頭をよぎっていた。

退職後、自分の起業準備を色々しながら、2018年1月20日頃に映画「LIGHT UP NIPPON」の試写会やってみようと思い立つ。

すぐ高田さんにメールし、OKが出る。

上映日は1週間後の1.28だ。

Facebookでイベント立ち上げ、チラシ作ってお店に張ったり、壱岐FMで告知したりした。

急いで作ったからチラシが2017年に(笑)

1週間で集客できるか心配もあったけど、結果、

20数名も集まってくれた。

高田さんもタイミングよく来てくれて、想いを語ってくれた。

すでに僕は勝手にプロジェクト名を『LIGHT UP NIPPON IKI ISLAND』にしてた。

この後、プロジェクトの中身を僕から話させていただき、「皆さん、郷ノ浦に上がる花火みたいですよね?やりませんか?」と問うと、拍手が起こりました。

「やろうよ!」

とても熱い想いで、その場が盛り上がったのを感じた。

この時の試写会来場者が実行委員会のコアメンバーになった。

(つづく)

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