ありがとう不要論は、実在します
あいさつの枠を超え、幸せを招く言葉として知られる言葉
「ありがとう」
たった5文字にあらゆる感謝の気持ちを込めることができ、伝えて嬉しく、聞いて嬉しい。まさによいことばかりに思えるこの言葉ですが、不要論があることをご存知でしょうか。
私は以前インドを旅したときに、ある体験をしました。
新たな価値観とのコンタクト
旅の途中、現地のインド人ガイドさんに大変お世話になった私は、いそいそとお礼を伝えます。
荷物を運んでもらって「ありがとう」
ご飯のサービスに「ありがとう」
買い物をしたお店で「ありがとう」
そうして言われたのが...
「ありがとうって言われるの、なんかイヤ。」
?!?!?!衝撃的すぎる言葉でした。
戸惑う私に、その方はこう言います。
それが日本人の文化であることは知っている。
でも、お礼はいらないよ。面倒だよ。
何かを人にするのは、当たり前なんだ。
家事や育児、仕事への「ありがとう」を家族に求める日本人とは対照的ですよね。私にとっても、目からウロコが落ちるような見方でした。
ありがとうの語源とは?
それで帰国後に調べたのですが、ありがとうには語源があります。
お釈迦さまの教えで、人間に生まれたことの尊さを弟子に伝える『盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ』と言われるものです。
広い海に目の見えない亀がいて、小さな穴の空いた丸太棒が1本浮かんでいる。その亀が100年に1度海面に顔を出したとき、穴に頭が入るより難しいのが私たちが人間に生まれることである。
有り難い(ありがとう)というのは、有ることが難しい。転じて、滅多にないことを指します。
ありがとうはいつ伝えるもの?
個人的な感想から言うと、インド人のおっしゃることはごもっともです。だから、ありがとう不要論も理解できます。
それで私は、誰かをサポートすることがあってもありがとうの言葉は求めないことを自分に決めました。
ただ、誰かに何かをしてもらったら、やはりありがとうと伝えます。それは、見落としがちな人の優しさに気づくことのできる自分でありたいからです。
人に何かをされて「ありがとう」と伝えたい日本人。何かをするのが"当たり前"だから「ありがとう」とあまり言われたくないインド人。
人の価値観は、知ればしるほど面白いですね。
今日の空でした。