小さな湘南回想話(仮)③「加山雄三さんの〇〇の体操教室の追記」
前回の記事「加山雄三さんの〇〇教室」の〇〇とかの表現について、何故〇〇と書いたか。
結論を先に言うと、私の記憶にはっきりと(これ大事)加山雄三さんの誰だか決定したものが残ってない為に私の記憶を一番大切にしたいから〇〇にしました。
加山雄三さんの〇〇の体操教室に行かれてた方は、私以外にも居られてたはず。きっと検索すれば、直ぐわかると思い、この話を数年前に子供達と検索しながら会話していました。
そしたら、検索結果はヒットも数少なかった。
そんなわけがない。確かに私は通ってた。幻ではない。
加山雄三さんのファンだから妄想しちゃった訳ではない。
茅ヶ崎の海の近くの体操教室にいた時は、小さい自分にはとても広い倉庫らしい場所で、あちらこちらに生徒さんが沢山いた。
だからきっと懐かしくて、プログにでも私みたいに思い出話を書く人がいるだろう。子供達の会話の最中「ほら、この人も書いてる!ここだよ」なんて親の言葉の信憑性を高めたかったがそうもいかなかった。
熱り冷めては、また思い出すきっかけがあり検索してみた。確信した記事は、茅ヶ崎や茅ヶ崎にまつわる文豪さんその地域からの歴史の目線から辿って着いた記事と、もう一つは現在海外にいらっしゃるダンスの先生らしき方の歴史の中の記事こちらはfile。どちらとも僅か1文2文。その1文2文に深く別に歴史があるようだったので、決定的であろう記事だけバックアップして引用したくなかった。
歴史は現代への繋がり、一つ抜いても、一つだけ取って引き抜いても意味が変わってきてしまう一つ一つの出来事は大小関わらず大事な瞬間だと思うから。
私は、子供達に良く「情報は、自分の目でしかと選べよ」とスマホ片手に色々検索してる子供達に偉そうに普段口スッぱく言ってる。
そのわりには、ちょっとした会話の中で、少しでも真実味のある会話にしたい気持ちもない訳ではない。
どうせすぐに流されてしまう会話に盛り上げの一つで子供達の会話の中では検索してしまう自分がある。
子供達も私の話の信憑性については、この件ではなくとも、「情報」に関しては、とやかくうるさい親だと子供達が一番わかっている。
その理由に、2番目の子がウィキにのってた事があり、誕生日が違っていた。個人情報だったからよくよく考えてみれば良かった。でも他にも情報に関しては色々あったので、引用の使い方はかなり慎重にしている。
なので記憶を頼りに辿った真実だったと自己満足の回想話になっていますがいましばらくはお付き合い下さいませ。
最後まで読んでいただきありがとうございました。