全然死にたくなかった
扁桃腺の切除手術のため、人生で初めて手術と入院をした
4ヶ月連続で毎回40度超えの扁桃炎になり、その度に1週間くらい休んでしまっていたのと、このままだと他の臓器にまで影響が出てしまう可能性もあるということで、急遽8月下旬に手術をすることになった
26歳という年齢で入院と手術を受けると思っていなかったから、そういう保険には入っていなかったけれど、限度額認定保険証や傷病手当のおかげでそこまで費用は嵩まずに済んだ
手術が決まってから手術までの2週間、よりリアルな「死」について考えるようになった
中学生の頃から哲学が好きで、なんで生きるとかなんで死ぬとかをずっと考えて生きている人生だったから、いざ本当に自分が精神的にではなく身体的に死ぬかもしれないということに直面して、色々と思うことがあった
ただ、扁桃腺切除の手術は耳鼻科の手術の中でも最もポピュラーで手術自体で死ぬことは基本的にはないらしい
確率は極めて低いが死ぬとしたら全身麻酔で、麻酔科の先生の話を聞いて同意書も書いたけれど、本当に死んじゃったらどうしようとか、目覚めたら30歳になっていたらどうしようとも思った
ああ、全然死にたくなかったんだ
高校生から希死念慮と戦い続けて、死んだ方が楽だと思うほど苦しい時期もあった
でも今はちゃんと精神科に通院ができていて、ちゃんとした検査をして病名がハッキリと分かったことにも救われた自分がいた
そもそも精神病は脳の病気だから(遺伝の要素も大きい)気の持ちようや根性論ではどうにかならない部分もあると知り、あのとき私に甘えだと言ってきた人に傷つく必要はなくなった
それから理解をしてくれる会社に入社してやりたい仕事につけて、周りの人たちにも恵まれて、幸せだった
しかし自分が思った以上に病弱で疲れやすく、そして希死念慮はうっすらと漂い続けながら生きていた
それが脳のせいであってもこんなに頑張っても、やりたいことが出来ても、心から幸せと思えないことにモヤモヤはしていた
手術直前の1週間で改めて人生について考えて、やりたいことを書き出したり、ちょっと部屋の片付けもした
よりによって直前に大きな嫌なことや傷つくことが起こったけれど、その時に思うのは死にたいではなくて、「絶対に生きてこの目で末路を見届けてやる」というような闘志にも似た感情だった
無事手術を終えたが、今もなお固形物は食べれないし、喉も痛い
予想外だった耳の痛み(神経が繋がっているらしい)にも悩まされている
だから入院中は、少食で食にそこまで関心がないと思っていた自分が1日の半分以上料理のことばかり調べたりしていたことにも驚いた
インスタの料理アカウントを永遠と見ては保存
胃もたれして途中でしんどくなるのに、とんかつDJアゲ太郎読んでトンカツが食べたくなったり、持ってきていた小説「BUTTER(柚月麻子)」の見事な食の描写にお腹を空かせてもしばらくは食べられないから、自由に食べたいものが食べられるって幸せなことだなと思った
4人部屋だったけど耳鼻科の病棟じゃなくて、聞こえた話の感じだと癌の人や糖尿病の人と同部屋だった
物心ついてから身近な人の死やお見舞いを経験していないから、話をしたわけじゃないけど大きな病気と闘っている人と同じ部屋で過ごしたことも考えさせられた
人生は短くて、例え老衰で死ぬとしても健康寿命で考えると時間がない
言葉では分かっていたけど、それは事実であることを身をもって感じた
だから私は改めてやりたいことリストを手帳に書いた
元気になったらすぐに食べれるような食べたいものものから、経験してみたいこと、年単位でやっていきたいことなど
私は昔からやりたいことが多すぎて何からやればいいか分からなかったけれど、大きなことでも小さなことでもやらないと時間は過ぎていくし、それにはまず計画や資金が必要だから細分化してちゃんとやっていこうと思った
このままでも良いと思えることもあるけれど、このままじゃダメだなと思うこともあるし、それでもやらないで後悔はしたくないなと思った
今回の入院では心身ともに強く、逞しくなったと思う
体調が良くなるのも嬉しいことだけど、生きることにこんなにも意欲的になれている自分が何よりも嬉しい
頑張りすぎずに頑張り、そして自分の人生を楽しみたいと思った
#生きる