にんげんという生命の宿命
にんげんという生命の宿命とはなんでしょうか。
わたしはずっと疑問に思い続けていました。
このとき「ねえなんでなの、」と思ったわたし自身に向けて、ふと降りてきたかみさまのおはなしについてお話します。
かみさまのおはなし
かみさまが起きた時、太陽と水がおりました。
かみさまは水に映り2人になりました。かみさまが水に映る神様に話しかけるために言葉が生まれました。
太陽が水を蒸発させ、雨をふらせます。虹が、とてもとても綺麗でした。かみさまはこの事を水に映る神様と話しました。とてもとてもたくさん話しました。かみさまはひとりぼっちだったからです。
しばらくすると、草花が生え、かみさまはいい匂いのことを水に映る神様に話しました。困ったことに水のなかにいる神様には匂いが分からないのでした。かみさまはとてもひとりぼっちな気がしました。ねえ、匂いを”認識することの出来る存在”がほしいわ。かみさまは水のなかの神様にお願いしました。そうだね、じゃあ、生み出そう。
神様たちは嗅覚、その他感覚のある”いきもの”をつくってゆきました。
神様が生き物にあたえた使命はこの世を認識すること。
草木や花がどんなにきれいでも、風が心地よくても、空がきれいでも、認識する存在が居なければ「在る」ことになりません。
あるとき、かみさまは、水に映る神様と仲のいい自分のことを誰かに知って貰いたくなりました。今までのいきものは記憶を引き継ぐことが出来ません。言葉がないからです。
神様は自分が生まれさせたものが変化していく素晴らしさを何かに共有したくなりました。ずっと覚えている生命体がほしくて。なかまがほしくて言葉を話す存在を作り出しました。
それがにんげんなのです。
にんげんは今を未来へと引き継いでゆきました。だから”未来”も”昔”も”今”も。この世が存在するのです。わたしは、そうだと思うのよ。ちがうかなぁ、?
いきものが、生きる意味は、この世を認識する事だと思うの。にんげんのいきる意味は、認識したこの世の記憶を後に引き継いでいくことだと思うの。
かみさまが「おぼえていて、おぼえていてよ」というから…きっと、そうなのだと、わたしはおもうのよ…。
はく、と名乗っていた昔のわたしが書いたおはなしです。わたしは緊急搬送された後日、神さまの元にいって帰ってくることが出来た魂だと、今でも思っています。だからこの時のおはなしは、神さまから直接授かったんじゃないかな。これは備忘録として残しておきます。