メジャーではないアーティストの音楽の「価値」はどこにある?
経験の年数、ジャンル、世代を問わず、「オリジナル曲」を1曲以上という条件で出演できるライブ「みんnanoライブ」を2018年に始めた。オリジナル曲を安心して披露できる場があればと立ち上げたもので、プロを含む、キャリアもジャンルも年齢も違うさまざまなアーティストが出演してくださっている。
今年は、9月8日(日)。7回目の開催だった。昨年から、会場を「円山公園音楽堂」にしている。昨年10月1日に開催したが、まちづくり活動に関わっていると、10月初旬かなりバタバタするからだ。その振り返りと感じたことをまとめてみる。
出演者たちがそれぞれアップデートしている喜び
一度出演した人がまた翌年もエントリーしてくださることの多い、みんnanoライブ。活動経験の浅いアーティストが今年は楽器や歌が上達していたり、昨年一人で歌ったアーティストがアカペラバンドを結成していたり、夫婦で活動していたり、昨年ギターの弾き語りだったのに今年はキーボードの弾き語りでの出演だったり……。
出演者が、みんなどんどん変化しているしグレードアップしている。昨年の出演者の知り合いが出演してくれたり、素敵な輪が広がっていることに喜びを感じた。
出演者が「出演してよかった!」と感じるライブイベント
このイベントは観客のものである以前に、出演する「アーティスト」のためのものであり、言ってみれば「出演者のためのイベント」であると、立ち上げた私自身が位置づけている。
出演者にもそれがちゃんと伝わっているので、出演料を払ってくださっているのに「出られてよかった!」「最高!」と感想をいただいている。ありがたい。出演することそのものを楽しんでくだっている出演者ばかりで、ステージに立った後の、みんなの笑顔、そのキラキラ感!がたまりません。感動します。
その姿を見ることで、客席側にいた人が「私も立ってみたい」「僕も出てみようかな」と思えることが、イベント主催の趣旨の一つ。「興行収入」が目的ではないし、無名のアーティストを有名にするためのイベントでもありません。
この趣旨からいくと、みんnanoライブは、今年も「成功」したと言えるでしょう。それでも、いや、それだからこそ、私がすごく残念に感じていることがあります。
それは、想定以上に来客数が伸びないこと、そして、投げ銭が集まらないことです。
地域のイベントなどに出演するときにも感じますが、当たり前のように「ボランティアでお願いします」と言われます。
出演するために、ミュージシャンが日頃、どれだけ時間と労力を使っているか。楽器を買ったり、レッスンに通ったり、自主練のためにスタジオを借りたり、音源制作をしたり……音楽活動にはお金がかかります。
生活にゆとりある人の趣味の一つならいいと思います。でも、多くの人が、現役で自分や家族のために働きながら、家事をしながら、それでも音楽のために時間とお金を投資して、さらに、自分の内なる声と向き合って、縦軸を整えているからこそ生まれてきた「楽曲」を演奏します。形として目に見えないだけです。
そんなだれかから「生まれてきたもの」って、だれかの人生の一部なんです。だれかの人生の一部をシェアしてもらうことへの価値って、どうしてこうも、人に認めてもらえないものなのだろうかと。非常に残念でならないのです。
もちろん洗練されていないかもしれない。やっぱり上手じゃないかもしれない。それに、音楽のジャンルは好みではないこともあるかもしれない。
それでも、それぞれのアーティストの曲には「あ、これ好きかも」が、どこかにあるはず。
そこに対して、興味がわかないものなのでしょうか。
だれかの喜びや悲しみをシェアしてもらうことへの「お気持ち」をもう少しいただけてもいいような気がするのですが……。そこで考えてみました。
私たち日本人は、「音楽」の「価値」をどこで決めているのだろうかと。
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