幸せとは
私が書く文章を、いつも大事に受け取ってくれる同い年のネッ友がいる。彼女とのつながりは、ふとした偶然だったはずなのに、今や彼女とのやり取りが私の日常の楽しみとなっている。直接会ったことはないし、同じ空の下で同じ瞬間を共有したわけでもない。それでも、彼女が私の文章を褒めてくれるたび、そこに共鳴する何かがあると感じる。彼女とのやり取りには、いつも見えない共通の線があって、その線がどこかで私たちを繋げているような気がする。
文章を書く理由なんて、最初はただの衝動だったかもしれない。感情を吐き出す場が欲しかっただけかもしれないし、ただ言葉にすることで何かが軽くなることを求めていたのかもしれない。それでも、彼女が「貴方の言葉選びが凄い」と言ってくれるたびに、私が書く意味が少しずつ明確になっていくのを感じる。彼女のその一言が、私が気づかないほどの静かな場所で、私の中に広がっていく。それは、まるで自分の言葉が誰かの心に染み込んでいく感覚。自分だけでは到達できないところまで、彼女が私の言葉を運んでくれているような感覚だ。
彼女は私の書く言葉をただ読むだけではなく、そこに秘めたニュアンスや、言葉にならなかった思いまでも拾い上げてくれる。文章を綴るたびに、彼女がその裏側にある何かを感じ取ってくれていることを知ると、ふっと肩の力が抜けるような瞬間がある。私はもっと言葉を重ねたいと思うし、その一つひとつにより多くの感情を込められるようになるのだ。
文章を書くと言う事は単なる会話以上のもので、そこには深い共感と理解が必要である。だからこそ共感を得てもらえる事に「ありがとう」だけでは足りない、それ以上の何かが確かに存在していると感じる。読み続けてくれる人がいる、それが私が書き続けるための大きな理由の一つになっている。私が筆を止めることなく、言葉を紡ぎ続けられるのは、彼女の影響が大きくあるからこそだと強く感じる。
「ネッ友」という言葉では表しきれない、その関係は私にとって特別な意味を持つ。会える日が来たなら…。その瞬間は、これまで積み重ねた言葉が一気に溢れ出すような特別な時間になれたら嬉しい。
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