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冬曉

最初に刃を当てたのは、寒い冬の朝だった。冷たく硬い金属が肌に触れる瞬間、わたしはまだ迷っていた。傷つけることに意味はあるのだろうか?誰も気づかない痛みが、わたしを救えるのだろうか?
だけど、どうしようもないこの感覚、喉の奥に張り付いた言葉が出てこないもどかしさが、どんどん体の奥に溜まっていって、逃げ場がない。だから、自分の腕に逃げたんだ。自分が自分に残していく傷跡だけが、わたしの存在を確かめてくれる印だった。

血がにじむ瞬間、痛みは思ったよりも少なくて、ただぼんやりとした熱が広がるだけだった。『痛い』って感覚すらないのが、もっと虚しかった。誰もこの痛みに気づかない、気づかせるために切っているのに、腕を隠すのはなぜだろう。切っても救われるわけじゃないのに、それでも、また切りたくなる。理由なんて説明できない。ただ、そこに自分の痛みが形として残ること、それだけが安心なんだ。こんなにも世界と繋がっていない自
分を、かろうじて繋ぎ止める糸だった。

誰かに見られることを恐れながらも、心のどこかで誰かに気づいてほしいと思っていた。見つけて、止めてほしかった。そう思って、いつも袖を引っ張って隠していた。見せたら終わりだと思っていた。救われたいわけじゃなくて、ただ共感してほしかった。わたしがここにいるって、わたしの痛みを認めてほしかった。

だけど、何も変わらなかった。切るたびに、もっと深く切りたい気持ちが膨らんでいった。痛みが足りない、血が足りない。もっと明確な、わたしの存在を刻む証が欲しかった。腕には無数の傷跡が増えていく。消えないように、何度も何度も切りつけた。だけど、傷跡はやがて薄くなっていく。薄れていくわたし自身の証拠を見て、どこまでも続くこの行為の意味のなさに、泣けてきた。

結局、切ることはわたしを救わない。わたしの痛みを増やすだけで、世界は何も変わらない。自分の傷を見て、ただ一瞬の安心感を得て、それでも何もかもが終わるわけじゃない。わたしはここにいて、ここにいないようで、ただ腕に刻まれた赤い線だけが、わたしの声だった。

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