喫茶店の小さな思い出
好きな喫茶店が、少し前に閉店していたらしい。長く愛された店だが、マスターらしい人は見たことがなかった。厨房の方から、談笑するお姉さま方の声がいつも聞こえた。初めてあの店へ行ったとき、アイスコーヒーに指した脆いストローが折れて、そこから飛び出してきたコーヒーで本に染みを作った。風情のある染みだ、とうれしく思った。それからはよく学校の帰りに(わざわざ途中下車をしてまで)立ち寄るようになって、やたら広いアンティークの丸テーブルに、時に原稿用紙、時に数学のノートを広げ、私は書き物ばかりしていた。あの店のレモネードは、レモンよりも林檎の味が強くて爽やかだった。窓際に並ぶ小さな鉢植え達が愛しかった。お手洗いにはテディベアの形のフックが取り付けられていた。いや、パンダだったかも。いつでも確認しに行けると思っていたから、これからもずっとあやふやなままだ。
かつてよく行っていた店が閉まると、ひとつの時代の終わりを感じてしまう。あの日々はもう戻らない。時の流れ、それに伴う変化が、私を大人と定義づける。いつもの席に座り、過ぎ去りし日々を懐かしむことも、もう叶わない。あなたは新しく好きなものを探すんだよ。もっと外の世界へと、出ていくんだよ。そんなふうに言われている気がする。だからこそ私は、記憶の中のあの店を、何度も何度も、繰り返し思い出したい。ノスタルジーこそ人を救うのだ。前に進むばかりでは生きていけない。けれども私は、あの店がかつてあったものというノスタルジーの概念となることを、決して望んではいなかったのである。