日記
昨夜は、久しぶりに日記帳を開いて思いのままに言葉を綴った。私にとって言葉を紙に書くことはリラックス方法のひとつで、だからもしかすると字が綺麗になったのかもしれない。
私がしたいのは、言葉を声に出して発音することでも、手を動かして書くことでもなく、紙に書いた自分の素直な言葉を見ることだ、と思う。これは絵を描くのが好きな人にも当てはまる場合があるんじゃないかな。心に浮かんだイメージや思いを手を使って描くことではなく、目に見える形となった自分の中身を見たくて絵を描くということがこの世のどこかにはあるはず。そうやってひとりだけの世界が完成する。
思い出したことがあって、私は小学生の頃の昼休み、入っちゃいけないベランダに入って家から持ってきた新聞紙を敷いて座り込み、冬の愛日を顔いっぱいに浴びるのが好きだった。それから、借りる人も留まる人も多くはない図書室で谷川俊太郎の詩集や「ナルニア国物語」を読むのも好きだった。あれは、愛日を浴びたくて、本を読みたくてそうしたわけじゃなく、ひとりになるための手段としてそういうことがあったのかもしれない。学校って、ずっとひとりでいるのは推奨されなくて、ひとりの時間を作りづらい場所だから。
小さい頃から私はこんな人だったんだと思うと、この人生、これまでとこれからの全てが愛おしく思える。