3人のいきものがかりラストライブを終えて今想うこと<水野良樹篇>
2021年6月、山下穂尊がグループから離れることが発表された。
結成22年。デビュー15年。
2021年6月11日に地元・横浜アリーナで開催された、"3人"のいきものがかり最後のライブを終えたメンバーに、率直な想いを聞いた。
-まずは、2021年の上半期はどうでしたか? いきものがかりの活動としては、2月にシングル『BAKU』のリリースがあって、3月に横浜アリーナでの無観客配信ライブとアルバム『WHO?』のリリースがあって、4月にはアルバム購入者向けの特典ライブや、ツアーの大阪・名古屋公演があって。5月の幕張公演は残念ながら中止になってしまいましたが、6月には横浜アリーナでツアーファイナルを迎えました。
今流れを説明していただいて、「あ、結構動いていたんだなあ」と思いました。ツアーで中止になってしまった公演があったし、そもそも公演本数も少なかったし、プロモーションも今までのようにはできなかったし……やっぱり「もっと動きたかったのになあ」と思うことが多かったので、もっとハジけたい、稼働を爆発させたいという気持ちがどこかにずっとある6カ月でした。そんななかで山下との話し合いもずっと続いていたので、大変な6カ月でもあったのかな。
―山下さんから脱退の意思を聞いたとき、水野さんは率直にどう思いましたか?
「いや、よく分かる」と思いました。新しいことを始めたいという気持ちは僕も強く持っているし、いきものがかりはもう自分たちだけのものじゃないから、彼が迷う気持ちもよく分かるし。山下と水野・吉岡の音楽に対する気持ち、グループに対する気持ちがだんだん違うものになっていることに関しては、メンバーなのでもちろん分かっていました。ただ、僕らが頷くとそれで決まっちゃうから、「3人にとって、いきものがかりのグループにとって何がいいんだろうか?」というところで、それぞれ踏みとどまって考える時間が結構長く続いたかもしれないです。そこから山下が抜けることが具体的に決まっていって。一瞬「そもそもこれ続けるのかな?」とも思ったんですけど、吉岡と2人で話したら、案外「解散じゃないね」「どうやったら2人でやれるかね?」みたいな会話になっていって。
-「解散じゃないね」と思えた根拠は、どういうところにあったのでしょうか?
正直、直感で選んでいるところもあるから、5年ぐらい経ってからじゃないとそれは分からないと思います。ただ、曲に対して一番誠実な態度を示したかったという気持ちはありました。解散することによって曲の色合いって変わったりもするけど、それはまだ自分たちには早いと思って。あと、いきものがかりというグループにはまだ可能性があるはずだと僕は思っているので、その可能性をもうちょっと掘りたいという気持ちがあるんですよね。それが3人でできたらよかったんだけど……2人になったことで初めてできるようになることもきっとあるので。それを利用しながら前に進めるかもしれないという希望が今はあるし、それをやってみたいということは、多分、吉岡にも伝えたと思います。これはすごく幸せな意味で言うんですけど、いきものがかりは、こないだの横浜アリーナのライブで一度完結したと思うんですよ。
-はい。
野球選手でも引退試合ができる選手はほんの一握りですけど、僕らのようなグループに関しても、だんだん人気をなくしてしまったり、聴いてくださる人が少なくなってしまったことで、思うような形で活動を終えられないグループもたくさんいると思います。そんななか、僕らが横浜アリーナで3人でのいきものがかりとしてゴールテープを切れたのはすごく幸せなことだと思いますし、綺麗に物語を終えられたなあという達成感があるんです。だから、ここから新しいプロジェクトを立ち上げていくみたいな気持ちがどこかにあって。だけど僕らは同じ屋号で続けていくことを選んだから……喩えるなら、「ドラゴンボール」と「ドラゴンボールZ」みたいな(笑)。あんな名作を引き合いに出すのはおこがましいですけど、後から振り返ると全部繋がっているような。
―なるほど。ツアー最終日となる横浜アリーナ2日目のライブでは、「コイスルオトメ」の演奏後に「今日の『コイスルオトメ』は新しい感覚でやれた」と仰っていましたよね。
そうですね。最終日の「コイスルオトメ」は今までのいきものがかりをいったん断ち切って前に進むという感じがすごく出ていたと思います。吉岡と水野はライブに対するスタンスがだんだんと変わってきているんですよ。簡単に言うと、吉岡は今まで「どの状態で唄ってもCDと遜色ない歌声を聴かせたい」というふうに安定性を求めるステージングをずっとしてきたんですけど、今回のツアーでは、演奏チームの熱量にかなり上手くフィットしている。場合によってはダイナミクスを自分の歌声につけて、バンド全体を引っ張ろうとすることもあるんです。そういうタイミングがツアー中に何度も訪れたので、演奏チームは「聖恵ちゃん変わったね」というふうに驚いていて。サポートメンバーのみなさんは見事な腕前でそこにも対応してくださるんですけど、僕はもうとにかくついていこうという感じで。そういうふうに2人が前に行こうとしている感じが一番如実に出るのが「コイスルオトメ」で、特に最終日はちょっと違うゾーンに入ったというか。冷静さを保ちつつ熱量を込められたと思うんです。それで「あ、今までと違うのが出てきたね」という感想になった。あそこが新しいいきものがかりのスタートラインになったのかなという気がします。
―一方で、今までの自分たちの道のりをしっかり見せるライブでもありました。
古くからの付き合いの関係者のみなさんは、バラードとかじゃなくて、「夏・コイ」で3人が楽しそうにしているところを見て一番泣くという(笑)。最終日のライブでは、3人での今までのストーリーと「ここから2人で変わっていきます」という新しさが混在していたと思います。
-その両方があったからこそ、ファンのみなさんも山下さんを気持ちよく送り出せたんじゃないかと思います。山下さんが書いた曲は今後もライブで演奏しますよね?
はい。山下の曲もライブではずっと唄い続けるつもりでいます。とはいえ、「夏・コイ」や「地球」のように、3人の存在自体がないと成立しないタイプの曲は、やることがなかなか難しくなるかもしれないですね。変に2人でやろうとするのは、曲に対して失礼な気がするので。
-「2人のいきものがかりをどう進めていこうか」という話はこれから吉岡さんと一緒に考えていくんですよね?
そうですね、具体的なことはまだそんなには話していないです。これから2人でテレビに出たり、2人で写真を撮ってみたりすることもあると思うんですけど、そういう瞬間に「3人ではなくなった」ということがどんどんリアルになってくるんだと思います。
-今はソングライターを1人失ったことによって、いきものがかりとしての「型」がある意味なくなった状態なのではと思います。それによって、例えば外部から曲提供を受けたり、今まで組むことがなかったようなクリエイターとともに制作する可能性は考えていますか?
全然ありだと思いますね。詞やメロディのように、楽曲のコアの部分に人を入れるのはかなりドラスティックなことなので、そこは簡単には踏み込めないですけど、サウンド面はより自由になっていくんじゃないかと。今までは音源を作るときに、エレキギターが下手から、アコギが上手から聴こえるようにしていたんですけど、3人でなくなるということは、これからはもうそんなことは関係なくなりますから。僕がエレキギター以外のパートでもいいのかもしれないとすら思います。
-水野さんの今の心境はどんな感じなんですか? 「新しいことができるぞ!」とワクワクしているのか、正直不安もあるのか。
「上手くいかなかったらどうしよう」という気持ちはもうあんまりないですけど、「もっと頑張らなきゃ」という焦燥感みたいなものはあるのかな。もっと本腰を入れて新しいモードに行かないといけないのに、いろいろな業務があるので、なかなかそっちに行けないというフラストレーションもあって。自分が大事にするものを選んでいかないといけないということですよね。そこの整理がついたときに、本腰入れていきものがかりの新しいモードに向き合っていくだろうし、自分個人の活動にも向き合っていくんだと思います。でも本当に幸せですよ。再スタートを切ろうというなかで、背中を押してくれるチームのみなさんや、そこに面白さを感じてくれているミュージシャンのみなさんが周りにいるので。40代を迎える前に再挑戦できるのは本当にいろいろな人のおかげなので、楽しめるように頑張りたいと思います。
-ちなみにここ最近は、どういうことを考えながら曲作りをしていますか?
今は「物語をどう立ち上げるか」ということをよく考えています。横浜アリーナのライブが終わったあとにツイートしましたけど、歌詞を噛み締めながら演奏していると、まるで今の僕たちのことを言っているかのように感じる瞬間が結構続いたんですよ。そのことにすごくビックリして。「地球」なんてまさにそうでしたけど、多分それは、22年間活動してきて、いろいろな人に出会ってきたことによって、自分たちの中にたくさんの物語が積み重なっていたからだと思うんです。それによって、曲を唄ったときや聴いたときに「こういうことがあったんだな」「こういうふうに頑張ってきたなあ」という感動を自分の中で立ち上げることができるというか。それはやっぱり、この22年間がないとそうはならなかったと思うんですよね。
-確かにそうですね。
それは僕らがたまたま実感したことだけど、聴いてくださるみなさんもきっと同じで。聴いてくださるみなさんがその歌を聴いたときに、自分のことをどれだけ語れるか、語れるような歌になれるかが大事だと最近はすごく思っています。前は「器」という言い方をしていましたけど、今はそうではなく、物語を駆動させるものというイメージですね。やっぱり僕はみなさんそれぞれの人生が尊いと思っていて。20歳の人なら20年、30歳の人なら30年生きた人の持つ情報量の方が、5分間の曲が持つ情報量よりも絶対に大事だし尊いものだと思います。だから「あのアーティストがこんなことを唄っていた。その考え方ってカッコいいよね」という楽しみ方ではなく、「この歌を聴いて大切な人のことを思い出した」というふうに、自分で、自分の物語を語ってほしい。そういう歌を書きたいというのが最近のテーマです。
-横浜アリーナの「地球」でそれを実感したと。
そうですね。やっぱり僕は、この22年間がなければ「地球」にあんなに感動できないですよ(笑)。17歳で山下がこの曲を持ってきたときは、もちろんいい曲だなと思いましたし、「こいつ、こんな曲作れるんだ!」とビックリしましたけど、22年後に〈どこかで逢えるから 今はここで歩いていくよ〉というフレーズを聴いたときには全然違う感動があって。22年間の物語がなければ、「地球」という曲をあそこまで愛することはできなかったんじゃないかと思います。
-最後に、このインタビューを読んでいるファンの方に伝えたいことはありますか?
まず、3人のいきものがかりを応援してくださってありがとうございます。デビューから15年、ひとまずここで区切りを迎えるけど、そこまで愛してくださったということに感謝しかないです。コメントにも書きましたけど、僕らはメンバーから友人に戻るだけなので、きっとみなさんの方が寂しいと思うんですよ。だけど死に別れじゃないし、山下は山下なりに幸せに生きてくれるはずだから。旅立っていく山下も、いきものがかりでやってきたことに対して誇りを持ってくれているだろうし、僕ら2人も、今までみなさんに愛してもらった3人のストーリーに恥じないように頑張っていきますので。これからも信じていただけたら嬉しいなと思います。
取材日 : 2021年06月
取材/文 : 蜂須賀ちなみ (@_8suka)
編集 : 龍輪剛
企画 : MOAI inc.