3人のいきものがかりラストライブを終えて今想うこと<山下穂尊篇>
2021年6月、山下穂尊がグループから離れることが発表された。
結成22年。デビュー15年。
2021年6月11日に地元・横浜アリーナで開催された、"3人"のいきものがかり最後のライブを終えたメンバーに、率直な想いを聞いた。
-まず、6月10・11日に行われた横浜アリーナ2デイズ公演、3人でのラストライブを終えてみての感想を聞かせていただけますか?
楽しかったなあという印象が自分の中ではすごく強いです。「3人でのライブはこれが最後」というトピックがありましたけど、それってある意味、ものすごい演出とも言えるじゃないですか。だからリハーサルをやっていても、当日はどういう感情になるのか全く分からないと思っていたんですけど、意外とカラッとライブを終えられたなあと。3人の中でも、もしかしたら自分が一番楽しんでいたかもしれないです。
-すごくいいライブだなあと思いながら見ていたのですが、演奏している身としてはどうでしたか? 手応えを感じたがゆえに、「ここで終わりだなんてもったいない」と思う瞬間はありませんでしたか?
多分、もったいなさはあるんですよ。でも、もったいなさを感じられるうちにやめられる幸せみたいなものもあると思うんですよね。お客さんや関係者の方の中には涙してくれた人もいたみたいですし、ファンの方からは「やめないでほしい」というメッセージもいただいたんですけど、そんななかで、最後のライブができるのは幸福なことだなあと思いながらやっておりました。
-なるほど。泣いていた人もいたとのことですが、いきものがかりの曲には別れを描いた春の歌が多いので、歌詞の内容とグループの現状をつい重ねてしまう感じがあって。
確かに「これめっちゃリンクするじゃん」とは自分たちでも思いました。「別に狙って書いたわけじゃないのになあ」とも思いつつ。
-特に「TSUZUKU」に関しては、水野さんが「曲を書くときに山下のことも考えた」とMCで仰っていて。山下さんはそのことに気づいていましたか?
「TSUZUKU」のようなメッセージ性の曲をずっと唄い続けてきたグループなので、今回だけが特別という感じはなかったかもしれませんね。良樹がいつも通りに、「100日間生きたワニ」という映画に合わせて曲を書いてきたんだなあという捉え方をしていました。
-あと、気になっていたのが6月13日のInstagramの投稿。いつもとは少し毛色が違ったじゃないですか。
あ~。あれはですね、実は何も考えていないです(笑)。作品のストックがいくつかあって、そのなかから週1くらいのペースで投稿しているんですけど、このときも単純に「先週あんな感じだったから今週はこれでいこう」くらいの感じで。だから本当に全然狙ってなくて。
-投稿日も横アリ終演後に合わせたわけではない?
全然合わせてないです(笑)。音楽もそうですけど、作品の捉え方って人によって変わってくるものなので、ときには書き手の気持ちと受け手の気持ちが結構乖離するんですよ。そうやって制作サイドの意図を超えていくことが大切だと僕は思っていて。だから、もしもそういうふうに受け取ってくれた人がいたなら、それも作品としては正解なのかなと思いましたね。
-ここで脱退の経緯について改めて聞かせてください。発表のコメントには「この一年以上、様々に社会状況が変化していく中で、果たして自分がいる場所、するべき事、生き方、とは何だろう、とずっと考えて参りました」とありましたが、つまり2020年以前からそういうことを考えていたのでしょうか。
そうですね。放牧中も集牧してからも考えることはあったんですよ。だけどそのときは具体的に「グループを抜けよう」という話にまではなっていなくて。そのあとコロナ禍に入って、社会の状況がいろいろ動いていくなかで、そういうことをより考えるようになっていきました。
-いきものがかりでの活動と個人としての生き方について、以前から何となく考えることはあったものの、明確に「こうしよう」という答えが出ていたわけではなかった。だけどコロナ禍を経て、「脱退」という一つの選択肢に行き着いた。
そんな感じです。東日本大震災のときにも一個人としての人生についていろいろ考えたんですけど、そのときと近い心情だったのかもしれません。僕にとって、グループを抜けるということはすごく大きなことです。きっと居続ける方が楽だとは思うんですけど、そうしなかったのは……。僕、放牧中にエッセイ集(『いきものがかり 山下穂尊の いつでも心は放牧中』)を出したんですけど、そのなかで「じゃないほうの選択肢を持とう」ということを書いていて。
-同じ場所に居続けると思考がどんどん凝り固まっていってしまうから、いろいろなことを知るためにその外側に踏み出し、自分で気づき、自分で見つけいきたいという話でしたよね。
結局その究極が今回の話になるのかなと思います。グループにいると、守ってもらえる分、背負うものも多くある。「じゃないほう」を選ぶタイミングがきっとどこかで来るのかなと思っていたときに、現実として、今回の選択をさせてもらったという感じですね。残る2人が背負うものも大きいと思うし、まさに究極の選択だったとは思うんですけど、それを選べる幸せがあるんだったら、選択してみようか、という想いが強かったです。僕から話をしたときも2人(吉岡、水野)は無理に引き止めることはなく。
-結成から22年、メジャーデビューからは15年、いきものがかりとしての山下さんの活動がもうすぐ終わろうとしています。今の実感はいかがでしょうか?
ツアーをまわりながら「よく15年もやったなあ」と思って。非常に幸せな15年だったし、やりきれたなあと思いました。高校生の頃は部活の延長みたいな感じでしたけど、大学生になって、インディーズで活動し始めて、「ちゃんとプロを目指そう」と思ったときに「こういうグループになりたい」みたいな憧れがあって。
-水野さんと地元の公民館の学習室で「『紅白歌合戦』に出たい」「『オールナイトニッポン』のパーソナリティになりたい」「横浜アリーナでライブがしたい」というふうに夢を語り合うこともあったんですよね。メジャーデビュー以降は夢が叶う瞬間の連続だったかと思います。
2003年、初めて地元のライブハウスでライブをしたときの自分たちには考えられないところまで行けたので、「意外と叶っちゃったじゃん!」というのが今の感想かな。本当によくやったなあと。だから、15年間いきものがかりをやれたというのは一つ上等としようという感覚があるんですよ。僕のフルマラソンは一度終わってよしとしようと思ったということです。
-結成初期といえば、吉岡さんが「唄いたくない」という状態になる→水野さんが何度も説得を試みるも失敗→山下さんがたった1回の説得で呼び戻すというエピソードも有名で。
はい。
-あのエピソードも象徴的ですけど、山下さんってグループの中での緩衝材のような存在だったと思うんです。
確かに若い頃は、吉岡と水野がぶつかることも多かったですね。仰る通り、僕が緩衝材のような役割を担ってきたし、そういうバランスで22年間やってきたなあと思います。ただ、今回の決断を下せた一つの理由として「もう2人でも大丈夫だな」と思ったからというのもあって。最近の2人の感じを見ていると「ああ、もう大丈夫だな」と思うんですよ。僕らももう30代後半ですし、みんな大人になったんでしょうね(笑)。
-「大丈夫だな」と思ったのはいつ頃ですか?
独立した頃かな? 事務所を離れて以降、3人で相談しながらいろいろなことを進めてきたんですけど、そのなかで「昔よりもお互いに気を遣いあっているなあ」と感じることが増えてきて。良樹は結婚して子どもが生まれて、聖恵も去年結婚して、生活面の変化があったから、それもあって人間的にも変わったのかもしれない。だから、若い頃のようなバチバチはおそらくもう起こらないと思いますよ。あの2人なら大丈夫だと思います。
-大きな質問になってしまいますが、山下さんから見て、いきものがかりとは結局何だったと思いますか?
(少し考えてから)いまだに3人で「いきものがかりという名前にそもそも違和感がある」という話をすることがあるんですよ。冷静に見たらおかしな名前だけど、それがもう当たり前のもののように浸透していて。そういう不思議な乖離があるというか……。個人的には「長い間部活をやっていたなあ」という感覚なんですよ。ただ、ファンの人たちが見てくれていたり、テレビに出させてもらったりするなかで、どんどん(いきものがかりが)自分たちだけのものではなくなっていって。そういう意味で、自分たちの感覚以上になかなか大きなグループになっていたんだなあと、最近改めて実感しているところです。それが驚きでもあり、嬉しくもあります。それに、これまでは当たり前に「3人でいきものがかり」と思っていたけど、実はそれすらも当たり前じゃなかったということですからね。
-はい。これからは2人になっていきますからね。
一つの殻を脱ぎ捨てたことによる解放感、ある種の身軽さみたいなものはきっとあると思っていて。これから2人が築き上げていくものがすごく楽しみなところではあります。
-殻を脱ぎ捨てることになるのは山下さんも同様ですよね。グループを脱退するということは、いきものがかりを媒介とした表現から離れるということになるので。
そうですね。僕は、アルバムの曲などを書くことで、いきものがかりという一つのフォントを少しずつ崩していく役割を担っていたと思うんですよ。だけど、今後はそのフォントがなくなるとなれば、生きていく覚悟を感じさせるものとか、もうちょっと血なまぐさい表現に飛び込みやすくなるだろうなあとは思っています。いきものがかりだとそれができないのかといったら、できなくはないと思うんですけど、「ちょっとだけ丸くしよう」とか「みんなに分かりやすいように」というふうに、どうしてもなっていってしまうので。今後は「フォーマットから抜け出した上で個人として何が書けるのか」という、新しい楽しいチャレンジになっていくんだと思います。
-脱退発表時のコメントには「表に立つことからは退きますが、創作活動などは引き続き行っていきたい」とありました。これは、他アーティストへの楽曲提供などをイメージしているのでしょうか?
そうですね。グループから離れるからといって、一切音楽を作らなくなるのかというと、そういうわけではなくて。先日発表になったように、今は「大阪・関西万博」応援ソングの作曲も同時進行でやらせてもらっていますし、もちろん他のアーティストさんから曲提供のご依頼をいただければ、できる限り応えようと思っています。だから「この業界は完全にやめて民宿を始めます」みたいな話ではないです。
-……いや、民宿も似合いそうじゃないですか?(笑)
まあ、民宿もやるかもしれないですけど(笑)、0か100かではないということです。あと、Instagramも続けていこうと思っていますし、今ちょうど長めの文章を書いているので、そういうものもいずれ発表していけたらいいなあとも考えています。そういうふうに、個人として何ができるかをいろいろ模索していこうかなという感じです。
-つまり、私たちが山下さんの新作に触れられる機会はこれからもあると。
そうですね。それこそ、どこかのタイミングでいきものがかりに曲提供できたら面白いなあと思いますし。
-ああ、それは面白いですね。音楽以外で今興味があること、やってみたいことはありますか?
プライベートの話になりますけど、放牧中にキャンピングカーを買ったので、コロナが落ち着いたら、高速道路を使わずに日本全国を旅しようかなと思っていて。僕ら、2010年に全都道府県ツアー(「いきものがかりの みなさん、こんにつあー!! 2010 全国あんぎゃー!! 〜ハジマリノウタ〜 Supported by アイフルホーム」)をやったんですよ。あれを個人でやれたら面白いなあと思っています。例えば、1県につき1曲書くとか。
-それは楽しそう。
だから今めちゃめちゃワクワクしていて。キャンピングカーの足回りを強化してしまいました(笑)。
-いいですね(笑)。いきものがかりの山下穂尊さんとしての単独インタビューはこれが最後となります。改めてファンの方へのメッセージをいただけますか?
みなさんには本当に感謝しかないです。僕らを見つけてくれて、いいなと思ってくれて、音楽を受け入れてくれて……。こんなにも長い時間愛していただけたなんて、超幸せ者っすという気持ちです。やっぱり一人ひとりがその人の人生の主人公だと思っていて。これを読んでくれているあなたは、あなたが都度選択したことを実行しているし、同じように、僕は今回、個人としてグループを離れるという選択を実行することにしました。だから……多少のワガママを許してくださいという感じかな。僕はこのグループから離れるけど、別に死ぬわけじゃないので。これからも2人の活動は続いていくし、僕個人も生きていく。物語は続いていくので、生きている限りまた会えます。これからも個人として作るものは作っていくし、発信もしていきますので、「悲観的にならないでね」と伝えたいです。
取材日 : 2021年06月
取材/文 : 蜂須賀ちなみ (@_8suka)
編集 : 龍輪剛
企画 : MOAI inc.