
娘に振り回されがちな私が考え方を変えられるようになった気づき(保育園お預けの罪悪感)
(1ヶ月近く前の下書きを公開。)
娘「保育園行きたくない」
母である私は、自分のラクのために娘に嫌な思いをさせている…という罪悪感から保育園を休ませていた。
「いやだ」と言いながら私以外の人に弱音を吐かない娘
「いやならイヤだと先生に言って教室を移動させてもらえばいいのに」と思う私
保育園からの報告は
「楽しそうに過ごしてますよ」「寝てますよ」
ライブカメラを見ても、そのようだ。
報告に一切うそはない。
そして、帰宅した後も特に機嫌が悪くなることもないし、癇癪を起したりすることもない。
ただ、朝、登園する時だけ
「保育園嫌だ」「お昼寝が長いから嫌だ」
と言ってくる。
最初は「いやな思いをしてまで園に連れていく必要はあるのか」と渋々連れて帰っていた。
だが、案の定次第にしんどくなる私。
そりゃそうだ、私は一人静かに過ごす時間が必要なタイプなのだから。
「ねぇねぇ!ママ!」と5分おきに呼ばれる1日を何週間も続けていたらそりゃパンクする。
けれど、預けられる場所がなかった。
環境もあるし、私自身の心のブレーキもあいまって。
そんなわけで、幼児と二人きりの生活に限界を感じていた。
予定も組めない、一人になる時間もない。永遠と思われる要望の嵐。
たまに一人で没頭してくれる時もあるけど、それも10数分のことで、すぐまた気が変わって「ママー」と呼びつけられる。
その繰り返しだった。
この調子で、二人目が出てきたら、家庭は確実に崩壊する。
大きくなっていくお腹を見つめながら、そんな危機感を持つようになった。
娘が嫌な思いをするのは、すべて私のせいなのだろうか?
娘が嫌な思いをした時、私がすべて対処する必要があるのだろうか?
赤ちゃんの頃の娘の「不快感」は、私が対処しなければならない事案だった。
なぜなら、赤ちゃんは永遠に泣き続け、それを放置すると親のメンタルがやられるし、赤ちゃんは下手すれば死んでしまう。そして赤ちゃん自身で自分の問題を解決することは不可能だから。
けれど、今、私自身はそんなに困っていなかった。
そして娘は保育園に行けているし、家での様子も至って普通。
問題があるとしたら、朝、私に対して「保育園つらい」「お昼寝いやだ」と吐き出すだけ。
これは…要対処案件ではなく、ただの愚痴なのでは????
「娘が保育園でのお昼寝をどう不快感なく過ごせるか」に頭を悩ませていた私は、そんなことにふと気づいて、ものすごく心が軽くなった。
ただの愚痴なら、自分の心が許す範囲で「聞いてあげて、じっくり共感してあげればいい」
それだけで相手は満足するし、何か私が具体的に対処したり先回りをしてあげる必要はない。
もちろん「助けてくれたら…」という思いは相手にあるだろう。
不快感をかかえている日常を、何とかしてもらえたらいいのに。という気持ちで私に吐き出している。
けれど、私の人生に大きな実害がないなら、これは「対処不要案件」なのだ。
相手が大人なら、「仕事しんどい」と言われたときに
「大変だよね、それはしんどいよね、苦しいよね」と共感しながらも「私が会社に一言モノ申してあげなくちゃ」とは思わない。
他人や大人相手ならドライに切り離して考えられるのに、なんでこう娘の問題を「自分の問題」と勘違いしてしまったのか。
それは私と娘が、親子だからだ。
そして娘は、つい最近まで赤ちゃんだったのだ。
親子には、切り離せない愛着のつながりがある。
娘のことを、自分のことのように思うから、娘の問題を自分のこととして考えるようになる。
娘ができるだけ幸せでいられるように全力になる。
だから数時間おきの授乳や1日が一瞬で終わるような毎日でも、理不尽なわがままを言われ続け一人応対する毎日でも、のりこえてくることができたのだ。
愛する娘だから、大事にしよう、他の誰よりも大切だ、自分の時間を削って労力を使っても価値があると思えたのだ。
だが、その弊害もあった。
気づけば、娘はもう4歳。
自分でできることがずいぶん増えてきたのに、
「もう私が対処する必要のないこと」
にまで、首を突っ込んでしまっていた。
保育園に行くこと、保育園でお昼寝があることは、私や娘には変えられない事実だ。
人生を生きていたら、そんな「自分にとって不都合なルール」は山ほどある。
けれど、そのルールに対してどう行動するかは、人それぞれ自由なのだ。
お昼寝の時間が終わるまでじっと我慢をすることも一つの手だし、
寝かしつけの先生をつかまえて話し相手になってもらうこともできるだろう。もう話をすることが可能な年だ。
なんなら、「あまりにも寝れなくて周りの子や園の運営に支障があるから、他の部屋に移すしかない」と別部屋を用意してもらえるまで徹底的に反抗することだって手段の一つだ。
娘の発達的に、こうしたことは可能だ。
そしてそれを選ぶか選ばないかは、娘の自由だったのだ。
そして娘がとったのが、母である私に
「行きたくない」と毎朝愚痴を吐くことだったのだ。
そうすることで自分の溜飲を下げて、保育園で過ごすことが彼女の中の落としどころだったのだろう。
いろんなやり方を考え、選び、必要に応じてサポートを借りながら、納得できない現実に対して自分の「不快感」を解消していく。
それが、他人に依存しない自立した人生だ。
私は娘にそんな生き方をしてほしい。
だけど私は、その試行錯誤の機会をうばっていたのかもしれない。
「これがイヤ」「あれがイヤ」
そういわれるたびに、自分を削り、願いを聞き入れて過ごしてきた。
4歳を過ぎても、その生活を変えなかったことで、娘は自分で問題を解決するチャンスを失ってきたのかもしれない。
世の中に私のように何でもハイハイ聞いてくれる人間はそういない。肉親であり、つい尽くしてしまう私のような都合のいい人間がいなくなったら、娘はどうなるのか?
そんな便利な人間が現れるのを、待つだけの人生に未来はあるのか?
そう考えると、「お昼寝イヤ」「保育園行きたくない」という娘の言葉から
「自分が我慢・対処しなければならない案件」
だと判断して身を削っていた自分のここ数年のありかたに
「これで本当にいいの?」と疑問を持つことができるようになった。
つまり、「行きたくない」と言われながらも保育士さんにお願いするということができるようになった。
自分の生活に余裕が少しできて、娘の要望に以前ほどイライラを感じることなくこたえられるようになったし、
娘の「行きたくない」が「私を責めている」と感じることが減っている。
優しさと、あまやかし。
この違いをきちんと説明するのは難しい。
でも、相手の問題の領域と
自分の問題の領域にきちんと線を引くこと。
この大切さとその判断の方法を、この問題から改めて知ることができたように思う。
・このトラブルは私の物?娘の物?
・どう考えても本人で対処できない問題なのか?
・そして私が身を削ってまで問題を解決することは、本人のためになるのか?
・私がやるべきなのは「手段の提案」と「勇気づけ」までなのではないか?
こうしたことを自分に問いかけながら、これからも育児を頑張っていこうと思う。