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仙台朝市から見た『仙台の変遷』 ~地元の伝統野菜について学ぼう~ 講座レポート

 2月14日バレンタインデーに、シルバーセンターでは「株式会社今庄青果」の代表取締役 庄子泰浩(やすひろ)氏をお招きし、今では大変貴重な写真を見ながら、仙台の移り変わりと、地元の伝統野菜について話を伺いました。

昭和時代の今庄青果店と仙台朝市の風景

  仙台の台所である「仙台朝市」のスタートは、昭和20年の冬。

 仙台空襲で焼け野原になった仙台駅前に食料を求めて多くの人々が集まった。それが、仙台朝市の始まりでした。

 仙台市内に田園風景が広がり、人力や馬車で物を運んでいた頃、仙台芭蕉菜(せんだいばしょうな)がまだ流通していて、肥料などの物々交換にも使われていました。仙台芭蕉菜は、白菜が出て来たことで市場から消えてしまった伝統野菜で、とても貴重な写真を見せていただきました。

昭和50年代 仙台駅前の写真

  昭和50年代、エンドーチェーンがあった頃の写真です。

エンドーチェーンでは生活用品を、仙台朝市では食料品を販売し、しっかりとすみ分けをしていた時代、仙台朝市は年間300億の売り上げ、現代の大型店舗よりも売り上げていた事を知り、活気に溢れていたことをうかがい知りました。
 

 震災の時の写真にも、触れました。

 震災直後はどのスーパーも閉まっていて、並んで待っていても、何も買えない、食べる物を手に入れるのも大変だったあの日々。 

 庄子さんは震災翌日から奔走して、運搬先が閉まっていて困っていたトラックを見つけては直接交渉し、いつもは扱わないサイズも含め、野菜を揃え、朝8時開店、夜6時閉店を貫き、市場が安定するまで、毎日続けられていました。

 多くの方に行き渡るように、お客様には家族分のみ。必要最小限の量を買ってもらうようにお願いし、レジ袋も手に入らない状況の中、段ボールなどの入れ物をかき集め、震災直後の仙台を支えようと、苦心した日々が伝わりました。

 

 話は、伝統野菜に移ります。

 よく見かける「仙台野菜」は「仙台産」ではなく、仙台周辺から取れた野菜が、仙台に集まってきて、食べられているということで「仙台野菜」と言われるようになりました。

伝統野菜 仙台白菜「松島系」の写真

 「仙台白菜」で有名な「松島系」と言われる白菜の写真です。明治時代に中国の華北から導入した種子をもとに作り始めました。 

 周りに生えている植物があると、白菜の種に影響し、結果的に「雑種」となって同じ白菜は作れなくなる。そのため、松島湾内の馬放島(まはなしじま)で、島に生えている他の植物を全部抜き取って、白菜だけを植えて作られたのが「松島白菜」。これが日本の白菜の原型の一つと言われています。

仙台朝市の風景


 参加者から「伝統野菜を守るにはどうすれば良いですか?」と言う質問がありました。 

 「伝統野菜だったら萎れても塩漬けにすれば、まだ食べられます。そうやって食べてあげてください。また食べるのであれば『原種』に近い野菜を高くても買って食べる。種を残していく意識で買い物をして欲しい。それが、伝統野菜を守る事に繋がる。」と、教えていただきました。

 

 地域の伝統野菜。それは、ただ陳列していても見えないものもあります。

「どんな食べ方がいいか、どういう人が作ったか、どういうタイミングで買えばいいか、そういう事を話しています。」と庄子さん。

 

 ご自身の料理のスキルを活かしながら、朝市を、地域の伝統野菜を支援していただければと、熱い思いを伝えていただきました。

 

 生産者が少ない、地元の伝統野菜の「種」を残すためにも、伝統野菜と見つけたら買う。伝統野菜へ一票を入れる、そういう意識を持って購買する大切さを教えていただきました。

 また震災で大変だった時も、昔と変わらず、私たち仙台市民の食を支えきた、歴史ある「仙台朝市」を後世にも残し、繋げて行きたいと思う講座でした。