義務感と罪悪感まみれの部屋
あいみょんの新しいアルバムが出たね。
ざっと一通り聴き流してみて、『夢追いベンガル』と『プレゼント』の歌詞にムムッときてリピートしてる。
『ら、のはなし』も好きだな。
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昔は、好きなアーティストの新曲発表が待ち遠しくてしょうがなかった。
少しでも早く聴きたくて、ラジオの初オンエアにかじりついたし、当然CDはフラゲした。
でも、いつからか新曲が出ることに対して、おめでたいと思う気持ちと一緒に億劫な気持ちが湧くようになって、今では億劫さの方が勝るようになってしまった。
新曲が出たら、ツイッターは新曲最高ってつぶやきで溢れるし、雑誌のインタビューではアーティストが曲に込めた想いを語って、ライターも新境地だなんだと大絶賛する。
あんまり好きじゃないなんて思っちゃった私の居場所はない。
段々と、またあの疎外感を感じるかもって思うと、新曲に対して腰が重くなった。
つくづく私は、好きなものとの付き合い方が下手だなあと思う。
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人と比べて私なんて大したことないって思考になっちゃう人間なので、好きなものを好きと思うことに対しても劣等感がつきまとう。
この程度で好きなんて言えない、みたいな。
好きって言えるハードルを高く設定してるから、ファンならこれくらい知ってなきゃ、やらなきゃって自分にも他人にも要求してしまっていた。
何かを、誰かを好きな気持ちってシンプルで、誰かと競うものじゃないのに。今改めて「にわか」って本当に嫌な言葉というか、考え方だなあと思う。
夢中で追いかけていたものから、自分の気持ちが離れるということも、なかなか認められなかった。
新しいものが出ればとりあえず買う。
でも気持ちが向かなくて、いつまでたっても手に取れない。
純粋な好きの気持ちが、いつのまにか義務に変わっていることに気づきながらも、また買う。
私の部屋は、そんな義務感と罪悪感で溢れかえっていた。
一人暮らしするのを機に、断捨離を始めて、こういうものを相当手放した。
フリマアプリの手数料と送料引いて今のところ10万ちょっとになってるから、結構な量。
これまでも何回かしてきたけど、やっぱり断捨離っていいな。
手放すことでやっと、好きだったよって感謝の気持ちが湧く。
大切にしていたものだからって、手放さないでいつまでも抱えてても、そのことを考えるとき、感謝どころかむしろ暗い気持ちになっていることに気づいた。
私もまだまだ断捨離中の身だけど、もし心当たりがある人がいれば、それが物なのか記憶なのかわからないけど、手放すことができたらいいね、なんて思います。
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好きになれない作品もあって当然で、疎外感や罪悪感なんて感じなくていいんだよな。
それでもあなたが好きだと言っていいんだよな。
むしろ、あなたが作ったものだから全部好きですなんて、盲目になられるのは不気味だなと、これを書いていて、ふと思ったり。
私個人としては、そういう関係は望まない。
受け入れて欲しいけど、非難はつらいけど、ちゃんと意見を言ってもらえて、それを自分も批判されたって傷つかないで聴き入れられる関係が理想だな。
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あいみょんの新アルバム、最初聴くの億劫だったけど、めっちゃ良かった。
高ぶった気持ちのまま書き始めたら、話が逸れてしまった。
あいみょんを好きになって日は浅いし、彼女について知らないことばっかりだけど、
魅力的な女の子だなと思う。
会いたいなと思って、
こうして本当に会いに行ける機会に恵まれたのは幸運だから。自分の将来の不安とかは置いておいて、ただただめいっぱい、あいみょんを感じたいなと思う。
武道館まであと少し!
あいみょんとは、ちょうどいい距離感で付き合っていけたらいいな。