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【ふくろう通信10】牧羊子と「ダンス・ダンス・ダンス」

 村上春樹の長編「ダンス・ダンス・ダンス」(1988年)に、牧村拓(まきむら・ひらく)というキャラクターが登場する。主人公「僕」が北海道で出会った美少女ユキの父親でお金持ちの流行作家という役柄なのだが、その人物描写が(少なくとも村上の目に映った)開高健そのものなのだ。

 <それほど背は高くないが、がっしりした体格のせいで実際よりは大男に見えた。><首はいささか太すぎた。もう少し首が細かったらスポーツマン・タイプに見えなくはなかったのだろうが、顎に直結するようなそのもったりとした太さと耳の下の宿命的な肉の弛みは長い年月にわたる不摂生を表していた。><僕が昔写真で見た牧村拓はほっそりとして、鋭い目をした青年だった。とくにハンサムなわけではなかったが、何かしら人目を引くものがあった。いかにも前途有望な新進作家という風貌だった>

晩年の開高(高橋昇撮影)

 

若い頃の開高

 牧村は辻堂に住んでいる(開高は茅ヶ崎)。若い頃に書いた小説は文章も視点も新鮮だったが突然まともなものが書けなくなり、冒険作家というふれこみで世界の秘境をめぐるようになった。「ダンス・ダンス・ダンス」発売当時の読者は、「裸の王様」で芥川賞を取り、釣り紀行「オーパ!」シリーズで世界を回った開高のことをただちに思い浮かべただろう。

 牧村拓(MAKIMURA HIRAKU)は村上春樹(MURAKAMI HARUKI)のアルファベットを入れ替えたアナグラムだ。人物設定はHIRAKU→開→開高健という連想で生まれたようにみえる。「牧村」は、開高の妻で詩人の牧羊子(まき・ようこ、1923~2000年)にもつながる。牧村の妻アメが写真家であるのに対し、牧羊子は詩人だった。

7歳年下の開高と結婚

 牧羊子は大阪市生まれ。大阪府立市岡高等女学校(現・港高校)、奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学)を卒業し、市岡高女教諭、大阪帝国大学理学部聴講生を経て寿屋(現・サントリー)に入社した。1950年に文芸同人誌「えんぴつ」で7歳年下の開高と知り合い、52年に長女を出産。54年、開高と入れ替わる形で寿屋を退社した。

港高校前にある市岡高等女学校の記念碑(大阪市港区)

 開高はサントリーの名コピーライターとして頭角を現した。作家となってからはウイスキーのCM出演で顔と名前が広く知られた。牧との出会いがなければサントリーに入社することもなく、開高の作家としての立ち位置はかなり違っていたはずだ。

「悪妻」と呼ばれて

 生前の牧は「悪妻」と呼ばれた。弁が立つうえ妥協知らず。特に「えんぴつ」を主宰した谷沢永一の「回想 開高健」(1992年、新潮社)は辛辣だ。

 <彼女が天井をむくような格好で、あたりかまわずまくしたてる発言に、なんらかの意味があるとも思わなかった。><(2人の結婚は)もっとも忖度してもらいたがっている男と、ぜったいに忖度しない女との、ありうべからざる組みあわせであった。><牧は、管理者となってゆく。開高は、逃れる方法をかんがえ、逸走の名目と手段を案じる。>

 繊細な文学青年が冒険作家に堕落したのは牧の束縛から逃げ出したかったからだ、といわんばかりである。しかし、本当に逃げ出したいなら、さっさと離婚すればよかったはずだ。開高は道徳を説く作風ではなく、離婚したとしても何らマイナスにはならなかったと思う。<私は開高健だけを後生大事にしているものだから>と告白する谷沢は、牧に開高を奪われたように感じていたのではないか。実際、「谷沢さんと牧さんは開高さんを取り合っているようだった。谷沢さんには嫉妬もあったかもしれない」と述懐する元編集者もいる。

最期まで連れ添った

 「ダンス・ダンス・ダンス」の牧村は妻アメと離婚している。ありあまるお金を使いながらも精神生活は空疎だ。一方、開高は58歳の最期まで牧と連れ添った。「オーパ!」最終章にはこんな一節がある。

<手錠つきの脱走は終った。羊群声なく牧舎へ帰る。>

 心躍る冒険からしょんぼりと家路に着く様子を、明らかに妻の名前を連想させる「羊」「牧」の文字を使って表現している。「悪妻」の評判を逆手に取ったユーモアであり、裏には遊び疲れた子どもが母親(のような妻)の元に戻る安堵感があるようにも感じてしまう。

寿屋時代の牧羊子

 では、また。


 

 

 


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