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あてもなく、しかし警らのようでもある。

猫が来て1年が経った。

世話をするために朝、余分に早く起きて一緒に居るようになった。顔を舐め、胸を踏みつけて起こしに来るので、寝ていられないということでもある。それから朝食(というかコーヒー)までの時間を、機嫌と体調の良い時に取り掛かりたい作業にあてている。かれが横にいてくれていると、僕は少し楽になれる。猫は人の変容を促す担当であり、深刻なありようを解除する。

1年で体重は倍くらいになった。長毛に覆われていて、もともと膨らんだ姿をしていたので、見た目は倍というほどでもない。

未だに蛇口が好きだし。

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未だに箱に飛び込む。

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振り返れば見張っている。

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僕が私淑している人から学んだ、特に重要なことの一つに、自分と世界の間にあるものをただ記述せよ、という教えがある。ただ記述をするだけで変身が始まる。クリエイティブなものや、エンタテインメントをわざわざつくろうとするのではなく、生活を、事実を、出来事をただ記述すること。面白いアイデアはそこから自ずと出てくるのであり、いちばん静かなところからこそ革命は起きる。淡々としたプロセスから最も過激なものが出てくる。以上は全て受け売りの、いつも読み返しているメモのコピペだ。

僕と世界の間を猫は尻尾を立てて横切る。向こうに居てはこちらを見張り、キーボードを踏みつけて向こうへ去っては物陰からまた見張っている。そういう猫の佇まいで、目にして初めて知ったことを僕はいつの間にか短い文章で書いてみるようになっていて、僕は自分の変身を感じることがある。かれは具体的な一個の生物だが、他者ではない。かれが僕と世界の界面にいて、その向こうの他者に視線を送るときの解像度の、上げ下げをする練習に付き合ってくれているような感じがしている。

そうやって時々ツイートしている。

Twitterで猫

Instagramで猫

Instagramも続いている。開設してから一度も止めずに、毎日、写真を一枚だけ投稿している。実名で、アイコンも僕自身だが、猫の写真しか載せず、猫のことしか書かない。フォローするのもガチの猫アカウントだけ。ガチの猫好きの先輩たちが褒めそやしてくださるし、何か困ったことがあると助言をくれる。

運営スタイルは前回↓のnote記事で書いたことを続けている。

もうすぐ200投稿になる。この先どうするかは、365投稿になったら考えてみよう。今のところ、向こう半年分くらいの写真のストックに追いついていないので、公開のクラウド倉庫に、自分で編集加工したベスト版をバックアップしていっているという用法に留まっている。ガチの猫アカウント先輩たちとの緩やかな交流は予想外であったが、これからも、そんな感じでいけばよろしい。

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以上、猫が来て1年になり、始めてみたInstagramも続いているので、節目でnote記事をつくった。

猫が幸せに生きてくれますように。




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池谷和浩
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。つたないものですが、何かのお役に立つことができれば嬉しいです。

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