立ち止まることとクリエイティビティ
(2020年4月11日土曜日)
新型コロナウイルスが猛威を振るっている。
小説の中でしか見たことがないような”非常事態“を形容するような言葉がニュースを賑わわせるようになって久しい。パンデミック、世界恐慌、都市封鎖、緊急事態宣言、そんな恐ろしい用語が連日報道される。
コロナの脅威に日常生活が一変した。私の勤務先でも大混乱中。子供から大人まで誰も経験したことがない事態が進行中だ。
判断を下す者も“前例”の存在しない非常事態の最中にいる。
他者を巻き込む決断をするのには大きな責任と勇気を伴う。決断者は、はたから見ると冷静に見えるかもしれない。例えば小池都知事然り、安倍首相然り。しかし胸中には(まともな責任者であれば)常に不安と迷いが渦巻いているはずだ。自ら下す判断に逃げ道はなく批判にさらされることも辛い。
判断とは、状況を観察して自分なりの考えを決めることである。行き当たりばったりであってはいけない。「人がこう言っていた」「他の大学ではこうしていた」など目の前の即物的な情報にあっちにフラフラこっちにフラフラと右往左往することは正しく現実と向かい合う態度とは言えない。
困難な状況であればあるほど“流されて下した判断”ではなく、自分の中で“腑に落ちた判断”が状況を打開する。
必ずしも理論的根拠に基づくものではないが、私の経験を振り返ってみると現状を打開しうるようなアイディアは、そんな“腑に落ちた”決断から生み出された。このように自分の中で“腑に落ちた判断”を下せる能力こそ、クリエイティビティ(創造性)と呼びたい。
ここまで読んでクリエイティビティに関心を持った学生読者もいるかもしれない。ではクリエイティビティ(創造性)のあるアイディアを思いつくにはどうすればいいか?
日頃からあらゆる場面において、他の人に言われた通りにするのではなくて、自分の腑に落ちる決断にもとづいて行動するよう心掛けることだ。
クリエイティビティは急には生まれない。「よし、クリエイティブになろう!」と思い立ってすぐに創造性溢れる人間に生まれ変わるわけではない。
創造性は日常の観察と判断の積み重ねで強化されていくものだからだ。
「自分に納得できる決断を下す。」言うは易し行うは難し、である。実際は多くの場面で組織文化や社会規範が自己判断に強い影響を与える。
小さなことで構わない。普段からできる限り自分の考えを大切にしよう。自分の考えを疎かにして他者や社会に迎合することに慣れてしまうと、いつか取り返しがつかないことになる。
今からでも遅くない。立ち止まって考え、自分で決断を下すことを心がけよう。
今日も混乱の一日。眠りにつく前に思いつくままに書きなぐった。疲れた。
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