【小説】似せ俳優 1話。依頼「最期の母の前で孫のふりをしてほしい」
「たーくん。おばあちゃん実は言わなきゃいけないことがあるのよ…。」
今僕は病室にいる。
出会ってまもない初対面のおばあちゃんの手を力強く握り、
このおばあちゃんの孫のふりをして演じている。今回の依頼の最中ということだ。
でもやはりこんな依頼
引き受けるんじゃなかった。
あの日きっぱり断ればよかった。
春風なんて生優しいものでなく
朝から暴風が吹き
花粉症の人には向かい風なそんな月曜日
小田急線下北沢駅。
20時40分新宿行きの電車を
最前列で待っている。
後ろでは見た目50代のおばさん達が
マスクと旦那の悪口の話で盛り上がっている。
遅延なのか到着予定時刻を10分過ぎて
ようやく電車が到着する。
時刻は20時50分。電車の遅延とは関係なく元々遅刻なのだ。
携帯を見るとバイト先のママから連絡が 25件。
このパワハラとも取れる数字で
怒っているんだということは把握出来る。
電車に乗り入口すぐ近くの
名称も分からない棒を掴み
ゆっくりと電車が動き出す。
電車内では先ほどのマダム3人の声が
目立つ。
僕は耳にイヤホンを差し
携帯で所属する【劇団サンクチュアリ】の
SNSをチェックすると吉永さんが
来月の舞台の告知動画をアップしている。
携帯画面の中でハキハキ喋る吉永さんは
出会った頃に比べて
若干目のシワが目立つ。
最近蓄えだした顎の髭も似合っていない。
吉永さんと出会ったのは5年前。
大学入試や就職先を探す
忙しい周りの友達を横目に
僕はそういった焦りは皆無だった。
かたや夢を追っかけてとか
そういうことでもなく
自由気ままな現状の生活に
満足してしまっていた。
ある日僕は友達の付き添いで
初めて下北沢に向かった。
小洒落た雰囲気の古着屋、
女子高生が戯れるクレープ屋、
カップルが幸せなひと時を嗜む
オープンテラスカフェ。
東京出身でありながら東京とは胸を張って言えない田舎者な僕からしたら
全てが目に入るものが
真新しかったしイケていたのだ。
「14時から舞台【明日は昨日の金が減る】
当日券若干余ってますー!どうですかー!?」
大きな声で呼びこみをしてる
見た目同世代ぐらいの
おかっぱの女の子と目が合った。
人見知りな僕は普段なら目をそらすが、
小一時間どっぷり下北沢の雰囲気に染まりイケていると錯覚している僕は一味違った。
「当日券?買えば舞台が生で観れるのですか?」
声は少し甲高くなっていたかもしれない。
おかっぱの女の子はこちらですと軽快に
階段を上っていき、
嫌がる友人を説得し僕達は
後をついていく。
両端の壁には色々な劇団のチラシが
張られている。
当日券を購入しチラシを何枚か渡され
僕は劇場の扉を開けた。
劇場は想像していたより狭く
こじんまりしていて
ホコリぽい独特な匂いがする。
舞台と客席はとても近くお客さんは僕含め30人ぐらいだろうか。
僕は客席から一番左端後ろの席によそよそしく座った。
女性の声のナレーションが入り舞台は
暗転する。
明転すると白Tシャツに灰色のスウェットを履いた男が
一人あぐらをかいて缶ビールを飲んでいる。
男は立ち上がり深く息を吸い込み
「金がねえんだよーばあか!」
と叫んだ後その場で大の字に寝そべり天井に向かって笑い出した。
まだシワのない吉永さんだ。
なんやこいつ。もう一度言う。
僕は東京出身の田舎者だ。
はっきり言って異空間だった。
この名も知らない舞台も舞台に立つ
知らない俳優達も。
舞台を見終えた僕は劇場から外に出て
不思議な感覚を抱えたまま電車に乗った。
喋りかけてくる友人の声は耳から
脳まで届かずすり抜けていく感覚。
電車内から徐々に離れていく下北沢の街並みを
眺め、名も知らないあの世界を
僕はもっと知りたくなっていた。
なんて昔を思い出したけど現実は
決して安くはない舞台のチケットノルマに追われ
最初の頃は観にきてくれていた友達も
徐々に足は遠のき
俗にいうイケメン俳優に該当するわけもなく
現代の流行りの塩顔と呼べないほど薄い顔だし
個性派俳優と呼べるほど個性は持ち合わせてない。
かたや演技に対する熱い想いみたいなのも
周りの劇団仲間に比べたら劣るし知識があるわけでもない。
結局、「俳優」という肩書に腰かけているだけなのだ。
5年経った今、焦りは皆無ではなくなっていた。
新宿歌舞伎町のど真ん中に映画館に
備え付けられたゴジラの左足付け根にある
「BAR MOON」
店内はカウンター6席、奥に4人座れるボックス席があり
黒を基調とした壁紙でママが好きな
UKロックアーテイストのポスターが
壁のあちこちに張られている。
BARというよりどちらかというとスナックに雰囲気が近い。
店内に入るとママはカウンター端に
座るお客さんの話を聞きながら
電子タバコを吸い、
赤髪坊主の頭を掻きながら
相槌を打っている。
ママといってもママは男性が好きな
男性だ。
ママは僕に気付くと吸っていた
電子タバコをこっちに向け
「れいと何分遅刻してると思ってんねん!」
ママのエセ関西弁はいつ聞いても慣れない。
平謝りをしてカウンター内に入ると
常連のまさえさんはもうすでに頬が赤い。
「やっぱあかんまさえ。そりゃお母さんに
孫の顔一つでも見せてやらなあかん」
ママはまさえさんに話しかけながら電子タバコの煙を
横にいる僕にわざと吹きかけニヤニヤしている。
パワハラなんて文化はこのお店にはない。
まさえさんは現在45歳。
75歳になる母かずえさんと一緒に暮らしている。
2週間前仕事終わり家に帰ると玄関で同居しているかずえさんがうつぶせの状態で倒れていた。
救急車を呼びそのまま入院。
一命は取り留めたものの高齢ということもあり
医者の説明ではご家族の方は一応
心の準備はしといてくださいとのことでそのまま入院したという。
看病しに行くと口癖のようにかずえさんは
孫のたーくんに会いたいとせがんでくるそうだ。
たーくんとはまさえさんの1人息子で
名前はたかし。
まさえさんが夫と離婚し親権をを放棄しそれ以来
たかしさんが5歳の時以来会っていないらしい。
「母親に最後ぐらい親孝行したいんだけどね。元夫とは連絡取ってるけどたかしは連絡先も知らないから。」
まさえさんは少しふくよかな身体を丸くし
ウーロンハイが入ったグラスの口を何度も丁寧に拭いている。
電子タバコを吸い終えたママは何か閃いた様子で
「せや!れいと!あんた演技を生業としてるプロやんな?偽たかしいけるんちゃう?」
ママはさっきの25倍ニヤニヤしていた。僕は焦って早口で諭す。
「いやプロって言っても僕なんて全然ですしたかしさんのふりなんて無理ですよ!」
今日は花粉症の人にも
優しいそよ風が吹く休日昼15時。
僕はかずえさんが入院してる病院がある東京の河辺駅でまさえさんと
待ち合わせをしていた。
ママの漢気ある焼肉の奢りと特別報酬で
首を縦に振ってしまった。
周りを見渡せば緑いっぱいの山々が見えのどかな景色が広がっている。
「れいとくんごめん待った?
悪いねこんなお願い引き受けてもらって。」
まさえさんと日中に会ったのは初めてだからか
生え際の白髪の多さが目立つ。
「れいとくんいい?もう一度確認する?」
「浜中和江様」と表記された病室の前で
もう一度まさえさんとたかしさんについて
携帯に保存していたメモを再確認する。
たかしさんの特徴は少し早口、
離婚する前最後に一緒に動物園に行ったこと、
かずえさんからはたーくんと呼ばれていて
こっちはおばあちゃんと呼んでいた。
BARで写真を見せてもらったたかしさんの
特徴的な左目下の涙ほくろは細い黒マジックで
すでに書き足している。
今日孫のたかしさんとして成し遂げれば親孝行になるということだ。
ひと呼吸し手動のドアを開ける。中に入るとかずえさんはベットで寝ていた。
1人専用なのか部屋はとても広く入口付近にトイレも備え付けてある。
ベットに近寄ると気配を感じたのか、かずえさんは寝たままの状態でゆっくりと目を開ける。どうもこの病院の独特の匂いは慣れない
。目と鼻の形がどことなくまさえさんに似ている。
まさえさんは僕の腰に手を添え
「お母さん分かる?たかしだよ。来てくれたよたかし。」
かずえさんは僕を見て動揺なのか感動なのか口を震わせている。
徐々に涙ぐむかずえさんは孫のたかしさんの
ふりをした僕に両手を差し出した。
「おばあちゃん久しぶり。なんだ元気そうじゃん。」
僕は意識的に早口で喋り右手を差し出した。
かずえさんはその手を握りしめた。
心臓の鼓動は早くなり手汗もじんわりかき始めてしまっている。
「たーくん元気だったか?こんなに大きくなって。」
かずえさんの握る手に少しだけ力が入る。
手はとても冷たい。
「たーくん覚えてるか?動物園行ってライオンの前行ったらわんわん泣いておばあちゃんとこ飛びついてきてなー。」
かずえさんはたかしさんとの思い出を懐かしむ
ように話し始めた。
まさえさんがベット横に置いてある花瓶の水を
代えようとしながら相槌を打つ。
「この子泣いてたのにソフトクリーム買ってきたらけろっと泣き止んで夢中で
食べてねえ!口にいっぱいつけっぱなしで!」
僕はかずえさんの目を見て
「本当にライオンが怖かったんだ!
檻のギリギリまで来て吠えるんだもん!
自然だ。自然に話せている。
病室でかずえさんの話に耳を傾けまさえさんが
近況を話し僕も相槌を打つ。
時間が経つにつれ窓の外から見える夕日が沈んでいき山々に重なるように
僕もかずえさんが実のおばあちゃんに
重なって見えてくる。どこか懐かしいようなあの感覚だ。
「まさえ、ちょっと悪いんだけど下のコンビニであったかいお茶買ってきてくれんか?
」
まさえさんは不安そうな顔で僕の顔を見たあと
僕は大丈夫ですと言わんばかりに深く頷いた。
まさえさんが病室を出るとおばあちゃんは
僕の頬に手をやりさすったまま微笑んでる。
「たーくん。おばあちゃんな、実は言わなきゃいけないことがあんのよ。」
おばあちゃんは近寄るように手招きし
僕はおばあちゃんの方へ耳を近づけた。
そしておばあちゃんは言った。
「あんた、たーくんじゃないね?」
どきっとした。僕は瞬時に動揺を隠し
おばあちゃんの目を見て微笑み返したが
おばあちゃんいやかずえさんは無表情のまま。
むしろ怒ったかのようにたーくんではなく、
たーくんのふりをした僕を見ている。
僕は丸椅子から立ち上がり直立したままだ。
嫌な汗が額から沸き上がりそうになった時それを見てかずえさんは勢いよく笑った。
「まさえに頼まれたかなんかだろ?
バカだねあの子は。いいの聞いて」
2日前、まさえさんの元夫と孫であるたかしさんは
2人で突然お見舞いに来たらしい。
まさえさんが倒れた際元夫に連絡してお見舞いに来たが、まさえさんには会いたくないという
たかしさんの要望で時間をずらし内緒でお見舞いに来たのだ。
「久しぶりに会ったのにたーくん何を言っても携帯弄りながら目も合わさず
頷くだけ。嫌々連れて来られたんだろうね。
あの頃のたかしさんのイメージと現在のたかしさんのそっけない態度のギャップに
かずえさんはひどく落ち込んだらしい。
「今日あなたがたーくんて言った時はどうしようかと思った。
それにたーくんは左利き。それに目の下のホクロがにじんじゃっている。
ただね、嘘とか本当とかそんなことどうでもいいの。
あなたと喋ってたら小っちゃかったあの頃のたーくんが重なって見えてね」
僕は演じていたつもりが逆にかずえさんに演じられていたのだ。
「最期ぐらいまさえに形だけでも親孝行させてあげないとね。これは二人だけの秘密だね。」
そう言いかずえさんは再び僕の手を握り微笑んだ。
「まさえ、かずえさんも最期に素敵な時間過ごせたんやない?」
後日まさえさんはお礼にと僕の出勤日にお店に来てくれた。
ママはまさえさんの手を取り、
男泣きをしながらティッシュで
目と鼻を同時に拭いている。
まさえさんはとても幸せそうな表情を浮かべ、
ママと僕にお礼を何度もお礼を言う。
僕はかずえさんとの病院での秘密を守り
まさえさんに対して演じ続けている。
ママの鼻とまさえさんの頬は時間が経つにつれ赤くなっていった。