やはり、対話と空気を読むとはなんぞや?
今のところ、親子間でも人とのコミニケーションでも
対話が重要であると思う。
大人は、言葉数を知っているはずなので、教えることができる
はずなのに、なぜなんだ・・・。
だから、成長する過程で圧倒的ある世代で 非言語コミニケーションが
ある節があり、それはとうの昔に消えたはずなのに、
空気読めよ・・・。なんて言葉を発しながら、その権力なのか
自己主張なのかでよくわからないが、そういう方がいて・・。
空気を読むという言葉は、実に、長男の子育て中に謳歌した表現。
だから、長男は、おとなしくじっと耐える子だった・・。
記録として写真に残した痕跡から、読み取れる表情。
私がそもそも、長男に対して積極的対話をしてこなかった。
これは明らかに私の原因あり。
当時、本の読み聞かせブームだった。
本を読もうと思ったが、は?聴覚障害の方はどうするの?とか
思って、どうするんだろう・・いろいろ、考えてしまっているうちに
二男が生まれ ̄ ̄なんぞ、
結局は、二男との対話が、すごいね。
長男は、そこの話をするなら言わない・・。と言われる始末。
自己開示に乏しい長男を、どう接するべきかと思っていたら救世主。
ちゃんと自分の事やら、あいてのことやらをぉ話している相手がいることが、判明。
もう、空気読めよは。死語かもしれない。
きちんと、言葉足らずならば、腑に落ちる言葉を言っている人を見習い、
自分の言葉として、表現できる大人になってほしいかな。
今のところはw。