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モノより気持ちとはいうけれど

2日前、私の母は誕生日を迎えた。
69歳になった母は、まだ60代だというのに足と腰が痛いと言って出掛け慣れた近くのスーパー以外はあまり出たがらなくなった。
数年前までは孫と一緒に遊園地やら動物園やらショッピングセンターやら行っていたのに、老いというものは次第に、そして確実に、行動範囲を狭めてくる。

母は昔からおおらかで優しい人だ。
父が破天荒すぎたためにかなり苦労したと思うし、厳しすぎる姑(私の祖母)に自由を奪われた結婚生活だったし、実際に私からみても本当に辛そうにしていた時期もあるが、誰に対しても寛容すぎるくらい器が大きく、常に自己犠牲の精神にあふれていた。
(父の破天荒ぶりや独裁者のようだった姑の話はいつかちゃんと書きたいと思う)
母の人生、おそらく辛いことの方が多かったと思うので、姑も亡くなり、父も少しは真っ当な人間に近づいてきた今、母には残りの人生を心穏やかに幸せに暮らしてほしいと、心の底から思う。

母の誕生日の数日前、
「何か誕生日プレゼント欲しいものはない?」
と聞いてみたが、
「欲しいものなんてないからいらない」
と言われた。
これは毎年聞くけれど毎年同じ答えが返ってくる。
でも何もしないのも味気ないので、
今年は、近所のスーパーのお買い物に気軽に持てるようなバッグと、
バッグに忍ばせておく扇子とタオルハンカチを三越で購入した。
扇子とタオルハンカチは私の子供たち(母にとっては孫)が自分のお小遣いから出し合って「ばあばにプレゼントするの」と言って選んで買った。
さらに子供たちは、おめでとうの気持ちを込めた手紙やお絵かきも用意して。偉いな子供たちよ。

母にプレゼントすると、
欲しいものはないよと言っていたけれど、やはり嬉しそうだった。
「バッグ、扇子、タオルハンカチ、手紙、お絵かき、どれが一番嬉しかった?」
と聞くと、やはり
「孫からの手紙とお絵かきに決まってるでしょ」
という答え。
きっと母ならそう言うと思った。
モノより気持ちが大事。
人の心を幸せで満たすものは、やはりモノではないのだろう。
プレゼントというものは本来そういうものだし、その人のことを想いながら用意をするというその過程に価値があるのだから。

でも私はまだ母の域まで達してないし、
物欲の塊なので、欲しいモノはたくさんある。
大きな車も欲しいし、東京にマンションだって欲しいし、洋服もアクセサリーも欲しい。
私もいつか母のように、
「何もいらないよ、気持ちだけで十分だよ」
と心の底から言える日が来るのだろうか。

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