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ルパン三世とキリコ・キュービィー

 (前略)

このPARTIII前夜の記事が目当てで買った「ジ・アニメ」83年11月号だったんですが…それとは別に、もう一つ思い掛けない収穫があったんでござーますよ。「装甲騎兵ボトムズ」の特集記事として脚本家・吉川惣司のインタビューが掲載されていたんですが、その中で「マモー編」に関する言及が。

「そう……こう言うと誤解されるかもしれないけど、ボクは『ルパン三世』(劇場映画第1作。吉川氏が監督だった)でやりのこしたことをやりたかったんです。つまり、キリコもルパンも、アウトサイダーという点で同じなんですよね。アウトサイダーというのは、絶対にインサイダーにこだわっているはずなんです。キリコにしても、心のどこかに庭のある家に住みたいって思ってるんじゃないですか。そういう世界を知っていて、なおかつ自分がアウトサイダーであることをも理解している……。権力から離れた所に主人公がいて、一方では権力を牛耳ろうという人間がいる。両方とも、観念でそうしているだけで、現実の勢力ーーたとえば、国家なんかにはかなわない。……『ボトムズ』は、ボクとしてはそういう感じで作りたいんです」

「マモー編」のルパンと「ボトムズ」のキリコは地続きである、「マモー編」と「ボトムズ」は同じ構造である…といった事は吉川惣司自身があちこちで何度か言及していますし、あるいはそういった本人の談話以前の問題として、「マモー編」と「ボトムズ」の両方を知っている人間であれば、両作の相似を誰だって感じて当たり前だと思うんですが、そういった発言ってルパンファンの間では全く聞いた覚えが無いのが何だかアレです。

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どうも平均的なルパンファンって映画・漫画・アニメの教養に乏しいようなところがあって、その辺で何かこう…。例えば「カリ城」は「あれは宮崎作品であってルパンではない」なんて言い方で貶す一方で、「マモー編」に対しては同様の態度を採らないってのが実にどうも歪つな感じで、その線で行くんであれば「マモー編は吉川作品だ」と言わなきゃ片手落ちでしょう。どう考えたって「マモー編」ってのは吉川テイストの塊ですよ。そもそも映画なんてものは監督の『個性』で支配されているのが当たり前で、むしろそうでなきゃ殆ど価値が無いだろうと思うんですけどね。

「マモー編」は「マモー編」単体で(ルパン作品の流れの中だけで)勿論充分に楽しめる訳ですが、「ボトムズ」も押さえておくと、より深く立体的に楽しめると思うんだけどなぁ。うう~む…。少なくとも80年代に男子だった人間であれば「ボトムズ」なんてのは必須教養の一つだろうと思うんだけれど…うう~むむむ。
作画はフガフガだし、遅々として進まないストーリーにイライラさせられるけど…「ボトムズ」は出来れば観ておいた方がいい作品じゃないかなぁと思いますね。「マモー編」との関連云々は抜きにしても。

(※初出 / mixi / 2009年5月31日)(※抜粋)