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吉川惣司談話

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昨夜、東京は池袋の新文芸坐にて、「アニメスタイル セレクション vol.27 『ルパン三世』スーパー・コレクション」と題したオールナイト上映会(※)が開催され、併せて、マモー編を監督した吉川惣司を招いてのトークショーも開かれました。

(※)パイロットフィルム(シネスコ版)/旧ル第1話「ルパンは燃えているか‥‥?!」/旧ル第5話「十三代五ヱ門登場」/新ル第99話「荒野に散ったコンバット・マグナム」/新ル第148話「ターゲットは555M」/マモー編/カリ城の計7作品を上映

僕は「マモー編」も「カリ城」も劇場では観た事がありませんし、吉川惣司のトークショーは是非とも拝聴したかったところなんだけれど…岡山くんだりからわざわざ駆け付けるだけの経済力は無く、只々「いいなぁ…」「行きたいなぁ…」と羨むばかりに終わってしまったのでありました。  

 (中略)

「マモー編」に関する吉川惣司の談話って、皆無ではないんだけれど、ある程度纏まった分量の言及って事になると、かなり数が限られちゃってるんですよね。僕が把握出来ているもので言えば、同人誌「Lupin The Third」、双葉社ムック、公式マガジンの三つ位(「装甲騎兵ボトムズ」DVDBOXのライナートにも談話があるらしんだけど、これは内容未確認)。だからそうした意味で、今回のトークショーはルパン研究的にかなり貴重なイベントだったのであります。

 (中略)

結果、基本的には上記の『これまでの談話』で語られていたような内容(※)が大半だったようで。どうせテキスト化されないんだから(資料としては残らないんだから)重要な発言は無い方が良かったとも思うし、その逆に、どうせなんだから何かしら興味深い発言が仰山飛び出してた方が良かったとも思うし…良かったような悪かったような…何だか妙な気分です(苦笑)

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(※)例えば「マモーの肌の色をあんな風にゾンビみたいな色にしたのは失敗だった」「肌色にすべきだと後悔したが、間に合わなかった」という発言など。上に張った画像は、その発言を知った後に「ルパン三世中毒」のPBBSに描いたものです。肌の色に合わせて、服や髪などのカラーリングも勝手に変えてます。髪を金髪にしたのは…ルパンFCの会報だったか何かに掲載されていた『線画の髪の部分だけが黄色く塗られた』二色刷りの図版ってのが確かあって、「これはこれで面白い」と何だか印象に残っていたので、それを意識して試してみた次第です。こうして配色を変えてみると、目先が変わって面白いなとは思うんだけれど、それでもやっぱりゾンビ色が正解だったんじゃないか?と個人的には思います。監督の狙いは判るんですけども。

そうやって基本的にはこれまでに語られて来た内容の繰り返しだった様子なんだけれど…それでもいくつか『興味深い』『新たな』言及があったようです。とは言え、何しろオールナイト上映会を観に行った観客がTwitterで呟いた『伝聞』であり『要約』でありに過ぎませんから、これに資料的な価値を置く訳にも行かず…かと言って完全に埋没させてしまうのもそれはそれで忍びないですから…あくまでも参考材料として、備忘録代わりのこの日記に書き留めておく事にします。

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僕が興味を惹いた発言は三つ。 まず一つ目は

「吉川監督によれば、マモーの声はもっと正体不明のとらえどころのない声にしたかったらしい。マイケル・ジャクソンを例に挙げてた」https://twitter.com/#!/tokio03/status/199034443577569280

というもの。

僕はマモー役に西村晃という人選は神懸かり的に素晴らしいと思ってるんだけど…吉川監督が実は狙っていた線ってのも、それはそれで興味深いところです。多分『得体の知れなさ』ってのをもっともっと追求したかったって事なんでしょうね。上でチラッと触れた「肌色にすべきだった」発言をもう少し詳しく引用すればーー

「僕はマモーをゾンビみたいな色と決めたんだけど、あれじゃ最初から化け物。そのうちに赤ん坊のような肌がシワだらけというのが正しいと思い至った。で、完成間近になって全カット肌色を変更しろって言ったんだけど、それが作画アップの一週間前ですからね、制作に『バカ言うんじゃないよ』って一蹴された(笑)。あれは失敗だったな。もうずっと心の傷みたいに残っていますよ」
(ルパン三世officialマガジン VOL.7)

という事なんですが、この肌色発言と、今回の声に関する発言とを併せて考えれば、老人なのか子供なのか判らない、性別すらもよく判らない謎の人物として、マモーというキャラクターを構築したかったんだろうと思う…んだけれど…それはもう実際に本編で充分に達成されてましたよね…(苦笑) それでも監督としてはまだ不満だったんだなぁ…。うう~む…。

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二つ目は

「作中の『夢』とは何かという問いに、『何度も聞かれるがそれらしい台詞というだけで考えてない』云々と、にべもないお答え(笑)」https://twitter.com/#!/TOKYOMEGAFORCE/status/198908665036681218

というもの。

まぁやっぱりそんなもんなんですよね(苦笑)

口ではこう言いつつも、本当は、吉川惣司は吉川惣司で実際には何かしら明確な回答があって、だけどそれを敢えてトボケている・伏せている可能性ってのも勿論ある訳だけど…此処は額面通りに取るべきなんじゃないですかね。監督としては別に正解は用意してないんだと。

しかもそれは「好きに解釈して下さって結構ですよ」と言うよりかは、「本当に最初っから別にあんまり深くは考えてない」「只それだけの事だ」と理解すべきなんでしょう。何か意図があったとすれば、明確に解説するでしょうし、あるいは「それぞれの解釈に任せる(から自分の意図は隠す)」というのであれば、その事をハッキリと口にするタイプですよね吉川惣司って。変な風なボヤかし方をする人ではない。

ルパンが口にした『夢』云々の台詞は、あの作品の中でかなり印象的だったのもあって、それぞれのファンがそれぞれに解釈していて…実際僕もまぁ「多分こうだろう」という個人的な解釈はあるんですけど…それはまぁそれだけの話であって。

それでも、この台詞に関しては解釈可能な幅がそんなにある訳ではなく、大体が皆して同じような所に着地する訳で…だからまぁ良いっちゃ良いんですが…そうではなく、独自解釈独自解釈したものが幅を利かせるような例もありますよね。例えば旧ルを独特に解釈した「まぼろしのルパン帝国」なんて研究本もありましたし、あるいはPARTIII第13話「悪のり変装曲」なんかを「これは何だ?」「意味が判らない」って事で、ああでもないこうでもないとファンが色々な説を開陳するなんてのがこれまでに結構ありました。だけどそういうのって僕は大体白けちゃうんですよ。

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「まぼろしのルパン帝国」は一定の価値のある書籍ではありましたけど、独自解釈部分については大半が阿呆らしく、「無理矢理なこじつけじゃねーか」と呆れましたし、PARTIII第13話なんかにしても「そんなもん鈴木清順監督が携わってるんだからああだっただけだろう」としか思わないんですよ。鈴木清順ってのはそうした監督でしょう。画面的なハッタリがまず第一の作家であって、意味がどうの寓意がどうのなんて考えてないですよ、そんなもん。ルパンファンによる一連の解釈合戦を、清順ファンが知ったとしたら失笑するんじゃないですかね。

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これは「ルパン」じゃないですけど…「新世紀エヴァンゲリオン」が流行った時なんかも、物語に鏤められた謎の部分を巡って、尤もらしい議論・解釈がファンの間で熱心に行われてましたけど、僕はそんなのはハッキリ言ってどうでも良くって、単純にエンターテイメントとして楽しんでました。だってあんなもん、それっぽい雰囲気を醸し出す事だけが目的のハッタリと言うか、あるいはマクガフィンと言うか、何にしろ「実は意味が無い」ものだとしか思えなかったですかんね。途中までは「何かあるのかな」と確かにワクワクしましたけど、流石にあそこまで行くと「これは実は何も考えてないんじゃないか」って事になりますし、実際作品が終わってみると、作り手は其処に意味を置いていない、畳む気なんか最初っから無いって事が明白になりましたから、それでも尚ああじゃこうじゃと躍起になって難しく考えてる人達がウンザリする程に仰山居たのには驚きました。「この人達は何をやってんだろう?」と。

受け手がそれぞれ自分なりに理解して感動するってのは当たり前で、十人居れば十通りの見方がある訳ですし、あるいは自分なりに補完したり解釈したり、あるいは深読みしたり裏読みしたりといった具合に、様々な接し方ってのもあったりして、別にどれが正解だって事ではなく、各人が好きなように鑑賞すれば良いんだけれど…ただしそれは極めて個人的な体験でしかないんだって事なんですよ。

だから勝手に深読みしたりするのも自由なんだけれど、作者自身は「いや…別にそんな事は考えてないです」ってのが往々にしてあるんだってのが肝腎だろうと。何かどうも日本人ってのはすぐに『意味』を求めがちなようだけれど、必ずしも意味があるとは限らない…と言うか、意味が判らなくて悩むような作品の場合には、大概は意味なんか無いんですよ。少なくとも『正解』は無い。作者は用意してない。

 (中略)

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三つ目は

「吉川監督の話で、ルパン劇場版の2作目も考えていた、という話に驚き。けど当時『マモー』が正当に評価されず、ルパンどころか演出の仕事そのものが来なくなり不本意ながら脚本の仕事がメインに。これは日本アニメ界の損失ではないだろうか?」https://twitter.com/#!/SHOTIKUBAY/status/198955495669768198

というもの。

これは具体的に次回作の構想があったという事なんですかね。「次に話が来たら、今度はこんな事をやろう」といったような。だとしたらそれが果たしてどんなプランだったのかを是非知りたいですねェ。

しかしこれ…もしも仮に吉川惣司が立て続けに二作目も監督をしていたとしたら、当然「カリ城」は存在しなかった訳で…。それは非常に困る。だけどそれはそれとして、吉川ルパンの二作目は二作目で、実現していたらさぞかし面白かっただろうなぁとも思うし。嗚呼…アンビバレンツな気持ち。吉川ルパン→宮崎ルパン→もっかい吉川ルパン→もっかい宮崎ルパンとかだったらオッケーなんですけどね。そんでその次に押井ルパンで終わらせると。そうなってたら最高だったんだけどなぁ…。

だけどまぁ…吉川惣司の監督業が残念ながら確立せず、脚本業が定着した事によって、後の作品の「ボトムズ」で、中核メンバーとして大いに貢献する事になったんだと思えば、やっぱり「これで良かったのかも知れん」に落ち着きますかね。

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※追記

上で言及した「吉川惣司監督はマモーの声をマイケル・ジャクソンのような声にしたかった」という部分。マイケル直撃世代であるにも関わらず、殆ど何の興味も持たずに素通りしてしまった僕は、吉川惣司の発言の中に彼の名前が挙げられているのも殆ど素通りしてしまい、「監督の意図は実際に本編で充分に達成されていたと思う」と結論したんだけれど…改めて考えてみるとマイケル・ジャクソン的な異形性ってのは確かに表現されていなかったかなと思い直しました。

本編の西村晃マモーの場合、厳格な大人の声、神格化された超越者としての存在を感じささせる声だったのに対して、マイケル・ジャクソン的な声という事になるとそれとは逆、年齢不詳・性別不明な感じを『より』強調したかった(※)という事になるんでしょうか。『得体の知れなさ』という一点でもって「それは本編で実現していた」と判断したんだけれど、そうではなくて、幼児性を強調させるっていうところが肝腎だったと見るべきなんですかね。

(※)容姿だけではなく、声も、という意味で。

「赤ん坊のような肌が皺だらけになっているように表現したかった」という発言も併せて考えれば、赤ん坊のような容姿を無理矢理に保ったまま、一万年もの時間を生きて来た怪物として、その声には何処か幼児性を感じさせるような類いの『得体の知れなさ』こそが必要だった、と。

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そう考えると、監督の本来の意図を充分に達成させるならば、いっそ本物の子供に声をアテさせるってのが正解だったのかも知れないですね(※)。やや舌足らずな感じの子供の声で、難しい単語を並べながら、恐ろしい事を平気で語る怪人物。人類の歴史を裏で操って来た神を自称する男がそういった異形性を帯びていたら、更に薄気味悪さが強調されていたでしょう。もしもそうなっていたら、更に面白かったのかも知れないとも思うし、あるいは「本編の表現で充分」「それ以上はやり過ぎ」と感じたのかも知れないし…。果たしてそのどっちだったのかを現時点から判断するのは難しいところです。

(※)似たような意図を実践したのが大友克洋の「AKIRA」だったという事になるでしょうか。実験体の面々の声を担当したのは子役ですよね多分あれ。

ついでに言えば、「ボトムズ」においても、超越者・ワイズマンの声をアテたのが、西村マモーと同じく、やっぱり厳格な大人の男声である柴田秀勝のそれだったという点にも注目すべきでしょうか。「ボトムズ」の脚本を担当した吉川惣司(あるいは「ボトムズ」監督の高橋良輔)は果たしてこの時点でどう考えていたのか。大人声で行くべきだと考え直して幼児声プランを放棄したのか、それとも幼児声ならではの意図を達成するのは困難だと判断して、不本意ながら撤退したのか…??

(※初出 / mixi / 2012年5月6日)(※抜粋)