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「風魔」絵コンテ(シーン4・カット8~シーン5)

冒頭のアクションシーン。映像研究家の叶精二氏も解説部分で指摘しているように、カメラワーク等に頼らず、複雑なアクションをじっくり見せている点が素晴らしい場面です。こうやって動きを丹念に描き切るのは当然難度が高いですから、テレコムだからこそ見事に達成出来た場面だと言えるでしょう。そしてこの見事なアクションシーンが物語の冒頭に置かれる事で、観客はグッと作品世界に惹き込まれる訳ですね。物凄くキャッチーな開巻部だと思います。

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まず最初、厳かに神社の階段を上る正装姿の五右衛門が映り、何事か?と思えば、どうやら彼の結婚式が行なわれているんだという事が判り、其処でまず観客を驚かせた上で、唐突に風魔一族が闖入して大乱闘が始まるというこの流れは、本当に良く出来た最高のアバンタイトルです。静から動への急展開(そしてまた静の部分にも『五右衛門の結婚』というサプライズを仕込んであるという懲りよう)。静的な衝撃場面から動的な衝撃場面へ。そして物語のキーとなる壷の目紛しい争奪戦が繰り広げられた末に、我等が五右衛門が窮地に陥り、其処でスパッと終わってタイトルへ、というこの流れはホント…何度も言いますが…およそ神懸かり的に傑作な導入でござーます。此処までがおよそ4分(!)。物凄い密度です。

そしてまた、此処で描かれているアクションというのが、確かな空間認識と確かな運動描写に支えられた名アクションで、果たして「風魔」という作品がどういった作品であるかを如実に物語っております。いきなりの豪速球。最早「声が違う」とか言ってる場合ではないのです。

更に言えばスピードのコントロールが絶妙だってのも特筆すべきでしょう。解説部分に拠れば、当の大塚康生自身は「タイミングがどれもちょっと速過ぎ。もうちょっとタメても良かったと思う」と自己採点しているそうだけれど、僕なんかにしてみれば「これで抜群」だと思うところです。実作者には実作者ならではの拘りがあるにせよ、観客の側から言えば、もうその辺は判らない境地でありますね。

何にしろ…物凄いスピード感で畳み掛けられつつ、其処で何が行なわれているかをしっかり把握する事が出来るこの一連の場面の出来の良さは、まずもってタイミングの操作が的確である上で、アニメーションならではの大胆な飛躍も含みつつ、キャラクターの動きを丹念に・的確に描き切っているからこそ達成されていると言えるでしょう。そうした意味で言えば、今日日はもう何かと言えば『スピーディーな場面は無闇にスピードを上げる』といった事が熱心に行なわれていて、それが格好良いと作り手も送り手も思い込んでいる節がありますけど、あんなの所詮は誤摩化しに過ぎないし、何が起きているのかきちんと把握する事が不可能な程のハイスピードには、リアリティなんか感じようが無いだろうと僕なんかは思うんですよね。「ハイスピードな場面だから、必要以上にハイスピードです」ってのは何も判ってないだろうと。

ところで解説では、風魔が飛び降りて壷を奪うカットと、「カリ城」でカゲが襲来するカットとの類似性および相違点が指摘されておりますが…「風魔」という作品はホント、あちこちに「カリ城」からの流入ってのが抜き差し難く存在するってのが特徴となっております。此処での風魔とカゲのオーバーラップなどのように、『描写』における関連性ってのについてはともかくも、キャラクターの造型や配置、物語の構造や展開などといった道具立ての部分でも極めて似通った箇所が多く…勿論それは敢えて意識的にやっているんだろうけれど…何だか「風魔」って作品は、舞台を日本に置き換えた和風版「カリ城」みたいな趣きがあるんですよね。「カリ城」の変奏としての「風魔」。それは「風魔」という作品にとって余り良い構造ではなかったと僕自身は考えております。

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アレンジなりリメイクなりが悪いと言うのではないんだけれど…例えば歴代の「ルパン」の中で言えば、旧ル第9話「殺し屋はブルースを歌う」の変奏バージョン(であろう)PARTIII第7話「死神ガーブと呼ばれた男」といった成功例はあるにせよ…やっぱり「カリ城」が余りにも大きな作品過ぎて、そしてまたそのエピゴーネンが大量に作られてしまった(※)事もあって、「カリ城」の変奏というのが余り有り難くはないってのがあるんですよね。何にしろ偉大な作品ってのはあんまり変奏バージョンを作らない方が良いだろうと。換骨奪胎してあればその限りではないけれど、ほぼ同工異曲のようなものはあんまり賛成出来ない感じ。

(※)「風魔」制作当時はまだそれほど大量という訳ではなかったけれど。その当時既に「『カリ城』の変奏という側面は不要だった」と感じていたので、だから「エピゴーネンが大量に作られてしまったから」云々は後付けでプラスされたマイナス要因ではあります。

そうした意味で言えば、『五右衛門の結婚』ではなくて(道具立ての部分で「カリ城」的な色彩は帯びさせず)、当初のプラン通りに『不二子の結婚』で作品を作ってた方が良かったのかも知れない…とも思うんだけれど…そうなると五右衛門の剣劇シーンなどの傑作アニメーションが生まれなかったのかも知れないと思うと、それは困るし…うう~む…どうすりゃ良いんだか判らない(苦笑)

ところで風魔一族は「カリ城」のカゲの変奏バージョンなんだけれど、単に和風へと移し替えただけには留まらず、現代兵器を駆使する現代版忍者という味付けが其処に加えられている点が実にユニークです。その他にも、可憐で純情な大和撫子っぽい見てくれでありつつ、内面部分には現代娘的な性質が加えられているヒロイン・紫のキャラクターや、『武闘派のボス』(そう言えばカリオストロ伯爵もそうでした)という変化球で設定された風魔のボスの、その武闘派っぷりというのが、忍者のそれではなく、当時の、「北斗の拳」以降の格闘漫画の潮流を踏まえてあるように見受けられる点などにも顕著なように、極端な現在と過去とをミックスしてあるというところが「風魔」の特徴となっており、それが独特の雰囲気を醸し出しているような気がします。

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そしてまた、そういった傾向は風景や小道具などの美術的な部分においても支配的な様子で、古くから在る物と、現代的な物とが同居している面白さってのを「風魔」では描こうとしているし、そしてそれが実際に面白く仕上がっておりました。パンフレット掲載のインタビューの中で、「何故日本が舞台なんですか?」という問いに対して、大塚康生・友永和秀両氏が「パリとかニューヨークとかいうのに飽きちゃったんです」「逆に日本の田舎の方がエスニックな雰囲気を出せるし、田舎道にでっかいラブホテルの看板があったり、そういう風景でやったら面白いんじゃないかと思ったんです」と答えてましたけど…「風魔」の世界ってのはホント、『ラブホテルの看板が在ったりする日本の田舎』の風景であって、それが将に、当時の、バブル時代の黎明期だった80年代後半の、あの時の『現在』のリアリティだったと思うんですよね。浮ついていた時代に、敢えてノスタルジックな過去を描いている…ように見えて、しっかり現在を描いていたのが「風魔」という作品でした。

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それでも例えば紫の現代っ娘気質の描写などは正直なところ古臭く感じられる面もあって、だから実際の現代っ娘ではなく、『大人が拵えた現代っ娘像』といった風情ではありました。それがまた味になってるんですけどね。ノスタルジックな世界を描いているかに見えて実のところは現在を描いており、だけどその『現在』ってのがやや古臭く、だけどそれがまた味になっているという複雑な感じ(苦笑)

しかしそれじゃあ果たして「風魔」の時代設定ってのはどの辺りなのか?ってのを考えると、よく判らなくなっちゃうんですよねェ。んーー…。紫のセンスなんかは結構古臭く、どう見積もっても精々が80年代前半位か?といった感じなんだけれど、小道具や風景などはかなり古い時代、それこそ60年代70年代辺りでストップしているような具合だし、そしてまた其処へ現代的な事物が混入していたりして…何だかハッキリしません。

物語的な事で言えば、ルパンの死から銭形の出家へという流れが、恐らくは旧ル最終回と繋がっているんだろうし、だとすれば70年代辺りかなぁといった感じだってのもありますから…恐らくはその辺りであろうってのがしっくり来ますかね。実際に画面の雰囲気から受ける印象ではその感じが最も強かったりしますし。そうすると紫のキャラクター性だとかの諸々の面で、逆に新し過ぎる部分もあるんだけれど…多分これ、紫のキャラクターなんかも含めて、そもそもは70年代後半位が漠然と想定されていたんじゃないか?って気はするんですよね。旧ル最終話から数年後の世界。「風魔」が作られた80年代後半の『ちょい過去』の世界。『ちょい過去』と言いつつ、その前後を微妙に内包した…多分まぁ60年代辺りから80年代辺りへかけての『現代日本』だと捉えるのが最も相応しいんでしょう。

(※初出 / mixi / 2012年11月27日)